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2013年8月24日 (土)

人生の海の嵐に

難度海を行く 使徒27:1-26

カイザリアに2年間留め置かれたパウロは、いよいよローマに向けて旅立つことができました。数名の囚人と一緒でしたが、弟子の一人アリスタルコが同行したことは、彼を大いに力づけたことでしょう。シドンに寄港した際には上陸を許され、友人たちとも会う事ができました。百人隊長ユリアスは、彼を親切に取り扱ったのでした。

そんなユリアスでしたが、ミラからローマ行の船に乗り換えクレタ島の島影を進んで良い港と呼ばれるところに立ち寄った時には、航海を案じるパウロの言葉よりも航海士や船長の言葉を信じて船を進めました。パウロはこれまで船の旅にあってこのような経験をしていましたが、やはり航海のプロの言葉に従ったということでしょうか。はたして船はユーラクロンと呼ばれる大あらしに遭い、命に危険が迫るほどになりました。しかしこのようなとき、パウロは乗組員を励ましたのです。「恐れてはいけない、元気を出しなさい、神様に信頼しなさい、私の仕えている神様が、守ってくださる」と。その後、パウロの言葉の通りになっていくのですが、それは次からの節になります。

パウロの時代から800年近く下った838年夏、日本から出た三隻の船は大変な航海を強いられました。それでも彼らはその目的を果たし、日本に戻ることができたのです。菅原常嗣を大使とする遣唐使船で、それに乗り合わせた僧、円仁の紀行文「入唐求法巡礼行記」にその様子が綿密に描かれています。彼も、幾多の困難を乗り越え、仏教の経典を研究して帰国し、慈覚大師とよばれ、布教に励みました。パウロも円仁も、自らの確信や希望を投げ捨てることなく果敢に難度を行き、それぞれが授かった教えの伝道に努めたことは、共通のことでした。

神様は、越えがたい海にたとえられる私たちの人生に、安息の港を備えてくださっています。そこにたどり着くまで、恐れず、元気を出し、そして神様の導きを信じて進んでいきたいものです。たといその希望が果たせないように思えても、あなたの船旅は決して無駄なものではありません。小説「海嶺」に描かれた3人の漁師たちは、故郷日本の土を二度と踏むことはありませんでした。海の底で忘れられたような人たちです。しかし彼らの訳した日本語聖書は、いま私たちが使っている聖書の先がかけとなって、人生の荒波にある人たちに平安を与えてくれているのです。難度海を進む力を、神様からいただきましょう。

ローマ8:35-39  私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

2013.8.25(葉月) 411 

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