フォト
無料ブログはココログ

« 下りる人、上る人 | トップページ | 人生の海の嵐に »

2013年8月18日 (日)

石臼を首にかけられ海に投げ込まれたら

一人の救いのために マタイ18:114

イエス様は、「つまずきが起こることは避けられないが、つまずきをもたらす者は忌まわしいものです」と言われました。その前段では、「子供たちをつまずかせるような者は、大きい石臼を首に掛けられて、湖の深みでおぼれたほうがましです」これはものすごい言葉ですね。

かつてイスラエルツアーの折、大きな石臼が街頭に置かれているのを観ました。人間背丈ほどもあるひき臼が、家畜に引かれて回り、粉を引くのでしょう。あんなものを首に掛けられて湖に投げ込まれたら、絶対浮き上がることはできず死んでしまうなと、思わされました。この言葉には、イエス様のウイットがあるように感じます。

日本人は昔から、自分の分をわきまえることを教えられてきました。たとい足らないところ、欠けたところがあっても良しとするのです。しかし人は自己中心な欲望を持ち、大きな力も持ってしまうと、他の人をつまずかせてしまいます。悪いことに、自分では人をつまずかせていることに気がつかないのです。これが他の国とのかかわり合いになると、すべてのことを自国に従わせようとし、他国を支配するようになるのです。

学校やスポーツの現場では、いじめや体罰が絶えません。かつての日本を取り戻し、国のために尽くそうという流れがあります。小さいものが、力によって抑えつけられているのです。

しかしイエス様はそのようなことをいつまでも許しておく方ではありません。なぜなら、私たちの主はいと小さいものに目を留め、一人の人が救われるために来られたからです。聖書の中の聖書と言われる、ヨハネ3:16にある通りです。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

シンドラーは、一人の人を救う事は、多くの人を救うことであるという事を、ナチスドイツの支配下にあって実践した人でした。苦しんでいる多くのユダヤ人を救ったのです。イエス様は、迷い出た一匹の羊を見つけるためにどこまでも探し続ける、羊飼いにたとえられています。これこそが、福音の中心です。そして教会とキリスト者は、この福音を宣べ伝えることが使命であり、平和をもたらすことに繋がると信じているのです。

「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」1テモテ2:4

2013.8.18(葉月) 410 

« 下りる人、上る人 | トップページ | 人生の海の嵐に »

礼拝メッセージ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 石臼を首にかけられ海に投げ込まれたら:

« 下りる人、上る人 | トップページ | 人生の海の嵐に »