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2013年9月

2013年9月29日 (日)

ローマにて

妨げられることなく 使徒28:17-31

使徒の働きの最後の言葉は、ギリシャ語では「妨げられずに」という言葉です。気落ちしているパウロに、「勇気を出しなさい。あなたはエルサレムでわたしのことを証したように、ローマでも証をしなければならない。」との主の言葉が実現したのです。囚人で監視付きの生活ではありましたが、ローマでの生活は誰にも妨げられることなく主イエスの福音を宣べ伝える時となりました。これまでのようにユダヤ人に訴えられたり、鞭打たれることはなくなったのです。自費で借りた家に住み、訪れる人たちをもてなし、イエスキリストを宣べ伝えたのです。

ローマに着いたパウロは、ここまでの経過を簡単に話したのでしょう。ユダヤ人からの訴えを受けて拘束されたわけですが、自らの潔白を証するためにカイザルの法廷に上訴したことを話しました。ユダヤ人はパウロのことについてはあまり知らされておらず、彼の語っている教えがこれまでとは違う別の宗派であると思い、パウロ自身の考えを聞きたいと思っていました。そこで彼はユダヤ人として律法や預言者から神の国のことを語ったのです。弁証によって彼らを説得しようとしたのでしょう。

フランシスコザビエルなど、日本に初めて来た宣教師は、仏教の僧侶と宗論を戦わせたといいます。その時の宣教師は3つのことを弁証しました。第1は、キリスト以外に救いはないこと、第2は神は唯一であること、そして第3に霊魂は不滅であること、というものでした。彼らはこの教えを示すとともに、若者たちを育て、日本の文化や生活になじもうとしていったのです。

パウロの語ったことは、すべてのユダヤ人がそのまま受け止めたわけではありませんでした。むしろ彼らは、聞いていはいても悟ることがない者だと預言されていたように、懐疑的であったのです。しかしこのことは、イエスキリストの福音が民族を超えて異邦人にも広まっていくことになるのです。福音は、グローバルなものとなったのです。それこそパウロが目指したものでした。ローマに行くことは、彼の宣教の終着点ではなかったのです。使徒1:8にあるように、全世界に出ていく主の証人となることがパウロの願いであり、そのゴールは天のみ国だったのです。

現在の私たちの国は、自由に、妨げられず信仰生活を送り、伝道することができます。しかしやがて、何かの力によって信仰の告白が脅かされたり、自らの病や老いによって、私たちの証が妨げられる時が来るかもしれません。その時、私たちの望みは、どのようなことがあっても、神様の愛は私たちを守り、その中で生きることができるという事です。

 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエス  

にある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。ローマ839

2013.9.29(長月) 415、丘の上 

2013年9月25日 (水)

誕生日

今日は、私の誕生日。夕飯の後、ケーキをいただき、お祝のひと時。FBにもお祝が届いていた。皆さん、そして天国の両親、さらにイエス様、ありがとう!

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2013年9月24日 (火)

日光にイタリヤ

 秋分の日と翌日の24日は、東地区シニア会の一泊温泉ツアーでした。場所は奥日光湯元温泉。集会のお話し担当者という事でご一緒させていただきました。紅葉にはまだ早く、霧が深く半月山の展望台からは何も見ることができないという悪天候でしたが、新しい発見がありました。それは、中禅寺湖畔に、イタリア大使館の別荘がかつてあり、今は建物が復元されてその一帯は公園となっているということでした。 その別荘からの景色が素晴らしい!湖畔のお土産屋さんからの景色しか知らない者にとっては、今までにない中禅寺湖と、その奥にある山々の風景でした。と言っても、山は見えなかったのですが。

 観光協会のHPには、以下のようにありました。一度は訪れる価値のあるところだと思います。ここにあるように、ゆったりとしたときが過ごせそうですね。今回のツアーは、天候には恵まれませんでしたが、ゆったりと温泉につかり、お茶でおもてなしの時を持ち、富広美術館を最後に訪れて心洗われる作品を鑑賞でき、花丸のツアーとなりました。

奥日光・中禅寺湖畔は明治以降、欧米各国の外交官たちが避暑に訪れるようになり、外国大使館の別荘地が立ち並ぶ避暑地として発展した。
イタリア大使館別荘記念公園は、かつてイタリア大使が利用していた別荘跡で、中禅寺湖畔の豊かな自然や国際避暑地の歴史とのふれあいが楽しめる公園です。園内の建物は、昭和3年にイタリア大使館の別荘として建てられ、平成9年まで歴代の大使が使用していたものです。実際に使用されていた建物を栃木県が譲り受け、改築して公開している。本邸は、床板や建具・家具などをできる限り再利用して復原し、副邸は、往時の歴史を紹介する「国際避暑地歴史館」として整備されました。副邸の「国際避暑地歴史館」には家具や調度品が展示され、明治中期から昭和初期まで避暑地として賑わいを見せた往時を偲ぶことができる。建物の美しさを引き立たせる周辺の森の美しさや、中禅寺湖の静かな波の音など、豊かな自然に調和した環境の中で、ゆったりとした時間を過ごすことができる。

(湯滝と別荘からの眺め)

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2013年9月22日 (日)

喜びの秘訣は

ローマへ 使徒28:11-16

マルタ島を出発したパウロは、イタリア本土に足を踏み入れ、アッピヤ街道を通って、ついにローマへたどり着くことができました。上陸したポテオリでは1週間ほどの滞在中に、主にある兄弟たちとの親しい交わりがありました。また、ローマ途上の二つの町では、パウロの到着を出迎えた人たちがいたのです。彼らとあったパウロは神様に感謝し、勇気づけられたのでした。これまでの苦しみや航海の疲れが取りされるような幸いな時であったでしょう。ローマに着いたパウロは、囚人ではあり監視役の兵士が共にいましたが、慈悲で借りた家に住んである程度の自由が与えられました。そこで自由に福音を語り、諸教会への手紙をしたためることもできたのです(28:30,31)

さて、パウロにとってこのローマへの旅は、どのような意味があったのでしょうか。それは何と言っても、直接的にはカイザルの法廷への上訴でしたが、主イエスの福音を証する旅でした。

その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなければならない。」と言われた。使徒2311

多くのクリスチャンは伝道者や牧師ではありませんが、それぞれの所で言葉と行いを持って主を証することに、変わりはありません。

ローマへの旅は、殉教への旅でした。伝承によれば、ネロがローマ皇帝の時に、パウロは殉教したといわれています。ペテロも、その時代に命を失ったのでしょう。日本でも、信仰のゆえに死んでいった人たちがいました。イエス様を信じる道は、時にこのような苦難が伴うのです。

ローマへの旅はまた、愛の旅でもあったのです。パウロは、自分のことではなく、他の人のために自分の命を与えることを喜びとしていました。イエス様の生涯にみられる、おもてなしの究極の姿です。先ほど述べたように、ローマへの旅が苦難の旅でしたが、喜びがあったのです。獄中で書かれたピリピ人への手紙には、「たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。・・・いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」とあります。英語で喜びは、JOYといいます。ここに、喜びの生涯の順番が秘められています。まずJesus 、イエス様が一番ですね。つぎにOthers、他の人を顧みることです。そして最後に Yourself、自分のことです。現代の不幸は、自分のこと、特にお金や物を第一にしていることにその原因があるのではないでしょうか。人のことは顧みない、ましてや神様は自分とは関係ない、という態度です。

今年は大きな台風が日本を襲いました。1954年の926日、台風15号により青函連絡船の洞爺丸が沈没し、多くの方がなくなりました。その時居合わせた二人の宣教師は、自分の命を顧みず、他の人を助けるために奔走し、亡くなりました。この出来事は、三浦綾子氏の氷点に描かれています。イエス様を第一とした愛の物語がそこにあるからです。あなたのローマへの旅も、喜びに満ちたものでありますように。

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2013年9月 8日 (日)

お互いが違うからこそ

好意を得る 使徒28:1-10

座礁してしまった船から脱出した人たちは、無事に陸に上がることができました。そこは、シシリー島の南にある、マルタという小さな島でした。古代はフェニキア人の交易の要所の一つであり、小さな島ゆえに大国の脅威にさらされながら歴史を刻んできた所です。今日ではマルタ共和国となっており、淡路島の半分ほどの広さの島に、40万人ほどの人たちが暮らしています。美しい島で、世界中から観光客が訪れるのだそうです。

この島の人たちは、パウロたちを非常に親切にもてなしてくれました(2)。ぬれ鼠なった人たちにとって、たき火は何よりのもてなしでした。パウロもそんな人たちのために薪をくべようとしたのですが、中から出てきたマムシに噛まれてしまいました。島の人たちはその様子を見て、正義の女神はこの人を生かしてはおかないと思ったのですが、彼の身に何も起こりませんでした。今度は、人々は考えを変えてパウロを神様だと言い出したのです。聖書の考えとは、かなり違いますね。

その後、島の首長であるポプリオがパウロの一行を招待し、手厚くもてなしてくれました。彼の父が熱病と下痢のためにふせっていたのを知ると、パウロは祈って彼の上に手を置いたのです。文字通りの、「手当て」です。ポプリオの父は癒されました。この出来事の後、島の病気の人たちはパウロの元を訪れ、その病を治してもらいました。このようなことの結果、パウロたちは非常に尊敬され、3ヶ月後に出航する時には、必要な品々を用意してくれるほどになっていました。

このマルタ島で、パウロたちは好意を得たのです。この島の人たちは、パウロがこれまで出会ってきた人たちとは、かなり違っていたことでしょう。聖書にはこの島の人たちを表すのに、バルバロイという言葉が使われています。古い日本語訳では「土人」となっています。未開人を思わせる言葉ですが、バルバロイとはユダヤ人やギリシャ人と異なるという事で、差別的な意味はないと思います。パウロにとって、これまでとは異なるところでの生活であり、伝道の時であったと思います。

現代はポストモダンの時代と言われています。違っている者同士がその違いを認め、互いに尊敬しあい、そして一緒に生きていこうとする時代です。違いを強調しあうだけでは、対決はあってもお互いに理解しようとする寛容な心はないでしょう。これはキリスト者の生き方や、宣教についてもいえると思います。ある映画の中のセリフにあったように、キリスト教徒が他宗教の人を「邪教」と思うならば、キリスト教も邪教であると思われるは、当然のことではないでしょうか。しかしこのことは、自分の信仰を曲げることではありません。パウロは、苦難の時にあっても神様のおられることを信じ、神様の言葉に信頼してこれまで旅を続けてきたのです。そしてローマを目指す姿勢に変わりはありません。初代教会の人たちは、多くの人たちに好意を得てきました(使徒2:47)

神様を第1にしつつ、互いを認めて福音に生きていくとき、おのずと好意をもたれるようになるのです。

神と人との前に好意と聡明を得よ。心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。箴言3:3-6

2013.9.8(長月) 413、丘の上 

2013年9月 5日 (木)

花をいただきました

今週土曜日は、丘の上敬老の集いが開かれます。地域の行事として、ご近所の方も来てくださいます。集会所のテーブルを毎回お借りしており、今年もそのお願いに上がりました。担当の方は、ご近所のOさんでした。初めてお会いしたのですが、Oさんは茶道のお稽古をされていること、同門の表千家の方であること、などに話が及び、秋のお茶会にも興味を持ってくださいました。帰り際に、玄関先にあるお花をいただきました。花をくださる方は、皆良い方です!紫の鮮やかな、紫紺野牡丹とのこと。教会の庭に植え、来年もまた花を咲かせてくれることを願っています。このお花で、おもてなしができたら素敵ですね。

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2013年9月 1日 (日)

九死に一生を得る

九死に一生を得る 使徒27:27-44

パウロのローマへの旅は、子供のころ読んだロビンソンクルーソーや十五少年漂流記を思い出させる、スリルに満ちたものです。一つ違うのは、パウロのこの旅はフィクションであること、作り話ではなく歴史上の事実であるという事です。

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アドリヤ海を漂っているとき、船は次第に陸に近付いてきました。14日目の夜、暗礁に乗り上げないように慎重に進んだのですが、水夫たちは船から逃げ出そうとして小舟を船からつり降ろそうとしました。この様子を見たパウロは、兵士に命じて綱を切り、彼らの逃亡を防ぎました。このような緊急事態になると、人は自分だけは助かりたいと思います。人々が大勢集まっているところで事故が起きた時には、我先にと非常口に走っていくようなものです。罪深い人間の、自己中心性が表れています。

夜が明けかけてきたころ、皆が空腹であることを知っていたパウロは、一同に食事を取らせます。彼は人々を元気づけることを言いましたが、それは言葉だけではありませんでした。精神論だけでは、実際に元気になることはありません。この場合、食事をとることによって体力を回復し、一息ついて落ち着いた行動をとることができたのです。パンを配るときには、神様への感謝を忘れることがありませんでした。ロビンソンクルーソーには、孤島で独り過ごさなくてはならなかった主人公が、神様の守りを感謝して祈る場面が出ていますね。疲れているときには休息を取り、食事から栄養を取って元気を回復する、そして神様への感謝と信頼の心を取り戻すことが大切です。

夜がすっかり明けると、砂浜のある入江が目に留まりました。そこを目指して進んだのですが潮の流れがぶつかり合うところで浅瀬に乗り上げ、座礁してしまいました。兵士たちは囚人たちに逃げられては大変なので、彼らを殺そうとしました。囚人護送の命を受けている兵士にとって、囚人が逃げ出してしまっては、そのとがめを受けなくてはならないからです。しかし以前よりパウロに好意を持っていた百人隊長はそれを押しとどめ、泳げるものから陸に上がり、残りの者は切れ端などにつかまって陸を目指すよう命令しました。このおかげで、パウロを含めすべて乗組員が無事に陸に上がることができたのです。船に乗っていた人たちは、文字通り九死に一生を得て、難度海を渡ることができました。

彼らが助かったのは、偶然ではありませんでした。一つ一つの出来事や、パウロの言葉が意味をもって語られ、乗っていた人たちを無事に陸へと導いたのです。ここに神様の導き、助けがあります。私たちも、折にかなってなされる神様の助けを受けて、お互いの命を大切にしていくことができるのです。私たちへの神様の愛は、どんなことがあっても消えることはないのです。

大水もその愛を消すことができません。洪水も押し流すことができません。雅歌87a

2013.9.1(長月) 412 

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