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2013年9月 8日 (日)

お互いが違うからこそ

好意を得る 使徒28:1-10

座礁してしまった船から脱出した人たちは、無事に陸に上がることができました。そこは、シシリー島の南にある、マルタという小さな島でした。古代はフェニキア人の交易の要所の一つであり、小さな島ゆえに大国の脅威にさらされながら歴史を刻んできた所です。今日ではマルタ共和国となっており、淡路島の半分ほどの広さの島に、40万人ほどの人たちが暮らしています。美しい島で、世界中から観光客が訪れるのだそうです。

この島の人たちは、パウロたちを非常に親切にもてなしてくれました(2)。ぬれ鼠なった人たちにとって、たき火は何よりのもてなしでした。パウロもそんな人たちのために薪をくべようとしたのですが、中から出てきたマムシに噛まれてしまいました。島の人たちはその様子を見て、正義の女神はこの人を生かしてはおかないと思ったのですが、彼の身に何も起こりませんでした。今度は、人々は考えを変えてパウロを神様だと言い出したのです。聖書の考えとは、かなり違いますね。

その後、島の首長であるポプリオがパウロの一行を招待し、手厚くもてなしてくれました。彼の父が熱病と下痢のためにふせっていたのを知ると、パウロは祈って彼の上に手を置いたのです。文字通りの、「手当て」です。ポプリオの父は癒されました。この出来事の後、島の病気の人たちはパウロの元を訪れ、その病を治してもらいました。このようなことの結果、パウロたちは非常に尊敬され、3ヶ月後に出航する時には、必要な品々を用意してくれるほどになっていました。

このマルタ島で、パウロたちは好意を得たのです。この島の人たちは、パウロがこれまで出会ってきた人たちとは、かなり違っていたことでしょう。聖書にはこの島の人たちを表すのに、バルバロイという言葉が使われています。古い日本語訳では「土人」となっています。未開人を思わせる言葉ですが、バルバロイとはユダヤ人やギリシャ人と異なるという事で、差別的な意味はないと思います。パウロにとって、これまでとは異なるところでの生活であり、伝道の時であったと思います。

現代はポストモダンの時代と言われています。違っている者同士がその違いを認め、互いに尊敬しあい、そして一緒に生きていこうとする時代です。違いを強調しあうだけでは、対決はあってもお互いに理解しようとする寛容な心はないでしょう。これはキリスト者の生き方や、宣教についてもいえると思います。ある映画の中のセリフにあったように、キリスト教徒が他宗教の人を「邪教」と思うならば、キリスト教も邪教であると思われるは、当然のことではないでしょうか。しかしこのことは、自分の信仰を曲げることではありません。パウロは、苦難の時にあっても神様のおられることを信じ、神様の言葉に信頼してこれまで旅を続けてきたのです。そしてローマを目指す姿勢に変わりはありません。初代教会の人たちは、多くの人たちに好意を得てきました(使徒2:47)

神様を第1にしつつ、互いを認めて福音に生きていくとき、おのずと好意をもたれるようになるのです。

神と人との前に好意と聡明を得よ。心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。箴言3:3-6

2013.9.8(長月) 413、丘の上 

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