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2013年10月20日 (日)

福音的な生活とは?

 

 

   

 

 

                
    
    

2013.10.20(神無月) 418 中央

    

春日部福音自由教会 山田豊

    
    

 

 

 

 

                
    
    

福音に生きる 1コリント15111

    

 

    

 

    
    

 

 

 

本日の箇所(1コリント15:1-11)は、福音とは何かということが、定義的に書かれているところです。キリスト教会初代の、信仰告白ともいえるでしょう。12節には、福音とは宣べ伝えられるものであると書かれています。新約聖書には、この二つの言葉がセットになって出ている個所が多くあります。私たちも、キリスト者の使命は福音を全世界に宣べ伝えることだと言ったりします。また福音は、信ずるものです。宣べ伝えらえた言葉を聞いてそれで終わりではなく、それを受け止めて考え、信じることが求められています。そして福音は、救いをもたらすものです。福音を信じる者は皆、救われるのです。

38節には、福音の内容が書かれています。イエス様の十字架の死と復活です。復活とは死んだイエス様が新しいからだになって甦ることであり、その目撃証人がこの書簡が書かれたとき大勢いることが記されています。死と復活とともに、イエス様の聖霊によってみごもった処女マリヤから生まれたことをあわせれば、イエス様の物語がここにあるのです。

911節には、このイエス様と出会ったパウロの自分の証言が書かれています。パウロ自身が福音に生きた者となったことを証ししているのです。

福音とは何かを一言でまとめるのは難しいと思います。旧約聖書の背景から説き起こし、イエス様の生涯、最後の審判まで網羅されている壮大なグッドニュースでしょう。しかしあえて今の私の言葉で言えば、福音とはイエス様の物語であり、福音に生きるとはそのイエス様の物語に自分の物語を重ね合わせることではないか、と思っています。

13日の土曜日、「江戸キリシタン巡礼ツアー」に参加してまいりました。162312月に50名のキリシタンが処刑されました。江戸時代初期、元和の殉教の一つです。現在の浅草橋から品川の札の辻まで引き回され、そこではりつけられて火あぶりの刑に処せられたのです。10月とは思えない痛いほどの日差しのもと、殉教した人たちがどのような思いでここを歩いたのかと考えながら、歩きました。ゴールは、品川駅近くのカトリック高輪教会でした。地下にある納骨堂に案内されたとき、今まで味わったことのない感動を受けました。それは、ここに葬られている方々と、あの江戸の殉教者たちは一つである、同じである、天国で一つとされているという感動です。殉教者という言葉は、ギリシャ語の証人ということばから出たものであり、イエスを証しする人という意味です。苦難の中でも、彼らはイエス様から目を離さなかったのです。私たちが今いるとこで、イエス様の生涯に自分を重ね、イエス様の視点で過ごすことが、福音に生きるということだと、実感させられたのでした。

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。へブル121-2

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