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2013年10月 5日 (土)

死は終わりではない

 9月最後の日曜日を挟んで、二つの葬儀にかかわり合いました。一つは、故人の遺骨を埋葬する樹木葬で、もうひとつは前夜式と告別式です。ともに悲しみの場面ですが、復活の主イエスキリストを信じる信仰をもとに、ご遺族とふれあいを持ち、み言葉を語らせていただきました。

 最近は、葬儀やお墓の形式がずいぶん変わってきています。樹木葬もその一つでしょう。霊園の方によれば、人はチリに帰る、そして故人の御霊が木に宿って末長くお守りする事ができる、ということでした。確かに人はチリから造られたのでチリに帰る、その意味ではこのような埋葬の仕方は意味があります。私の故郷では、骨箱から出した骨を、そのままお墓に入れてしまいます。これは以前ブログにアップしたことです。しかしそこに、復活の信仰はありません。

 葬儀では、故人をしのんでお話をするわけですが、その中心はイエスキリストの購いの十字架であり、復活です。この復活は、私たちを信仰と希望と、そして愛に導くものなのです。復活を信じることは、人の生活を変えるのです。

 敬愛する古山洋右先生は、ビリーグラハムの通訳をされるなど世界的に知られた牧師でした。1995年、62歳で召されましたが、その少し前に他の先生方と一緒に病床に見舞った折、一人一人の手を取って祈ってくださいました。ここは天国に行く前の待合室だと、語っておられたことばが忘れられません。あるとき、その古山先生も含め、他の牧師先生たちとなにかの集会の帰り、車に乗っておりました。多くの牧師が一台の車に乗っていれば、ちょっと危険ですよね。交通事故でみんな死んでしまったら、だれが葬儀の司式をしてくれるのか、という話になりました。その時、くだんの古山先生が「僕がよみがえって司式をするから大丈夫だよ」と言われたのです。一同これには大笑い。先生はこの時だけでなく、生涯復活の信仰に生きておられたのです。

 イエスキリストの復活を信じることは、前向きの人生の力となるのですね。

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