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2013年10月 6日 (日)

復活から信望愛へ

教会の使命 使徒4:23-35

エルサレムに生まれた初代の教会から今日まで続く教会の使命、キリスト者の神様からゆだねられたミッションとは、なんでしょうか。なにやら大上段に構えたような問いかけになってしまいました。

使徒の働きを通して知ることができるのは、復活の主イエスキリストを宣べ伝えることでしょう。迫害の中にあっても、教会の人たちはイエスキリストの復活を宣べ伝える、自らも新しいからだによみがえることを信じていたのです。そして、その信仰告白にふさわしい新しい生活を、お互いの交わりの中で現わしていきました。イエスを信じる信仰の決心をして終わりではなく、復活信仰にふさわしい生活をしていた、つまり、イエスの弟子としての生涯を全うしたのです。

ペテロとヨハネは、イエスのことを教え、病人を癒したことを訴えられて、捕らえれました。散々脅かされて釈放されたのですが、彼らはひるむことがありませんでした。教会はこのことを聞くと、かえって心を一つにして神を賛美し、大胆にみ言葉を語ることができるよう祈ったのです。私たちの罪をゆるすために死んでくださったイエス、購いのキリストを宣べ伝えるだけでなく、死からよみがえった方を語ったのです。復活こそ、私たちに信仰を与え、希望を持たせ、そして愛の人に造りかえる土台となることです。この確信を与えてくれるのが、聖霊なる神様にほかなりません。使徒の働きは聖霊がどのように信者に働いてくださったかを示す、歴史の文書であるゆえんです。

過日、葬儀の司式をいたしました。イエス様の十字架、葬り、そして復活について語らせていただきました。その後列席しておられた方から、小さな本をいただきました。内村鑑三の薫陶を受けて伝道者となった方について書かれた、伝記的な読み物です。その中で次のような文章がありました。

「神の智恵は、私たちの智恵と想像をはるかに超えています。キリスト教の信者と自称して、イエスの復活の事実は信じているが、自分もまた、イエスとともに、復活体を頂くという確信を持つ者は少ないのではないかと思います。その証拠に、キリスト教の葬式においても、天国の話は出ても、復活に関する説教をあまり聞いたことがありません。あまりにも非科学的であり、人々に誤解を招く恐れがあるため、あえて触れないのかもしれません。先生(小西芳之助師のこと:注は山田)、復活の信仰は葬式のときだけではない。日々の生活の中で、復活の恩恵を味わいつつ、そこから、喜びと力を得るのである」

まことにその通りです。イエスキリストの復活を宣べ伝えた教会の交わりは大きな恵みがあって、持ち物を分かちあうという愛の交わりがあったのです。復活のイエスキリストに生き、この方を宣べ伝えることは、今日の教会の使命なのです。

ローマ10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

2013.10.6(神無月) 416、丘の上 

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