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2013年11月

2013年11月24日 (日)

罪の報酬と神の賜物

 

 

   

 

 

                
    
    

2013.11.14(霜月) 423 丘の上

    

春日部福音自由教会 山田豊

    
    

 

 

 

 

                
    
    

罪の報酬と神の賜物 創世記38-21

    

 

    

 

    
    

 

 

 

 

2013.11.24(霜月) 423 丘の上

 

春日部福音自由教会 山田豊

 

天地を造られた神様の最後の御業は、人の創造でした。土地のチリから造られたのです。神様の息吹が吹き込まれて生きるものとなりましたが、神のかたちに造られた存在であることが、他の生き物との大きな違いでした。アダムとエバと名付けられた二人は、エデンの園で神様の創造の秩序の中で暮らしていました。しかし、蛇にそそのかされて、神が取って食べてはならないと言われた木の実を食べてしまい、エデンの園から追放されてしまいます。失楽園のストーリーですね。蛇は悪魔の象徴であり、二人が木の実を食べたというのは、神様の戒めに背いたことを表しています。これを、罪と言います。

 罪を犯している者はみな、不法を行なっているのです。罪とは律法に逆らうことなのです。(1ヨハネ3:4

アダムとエバの犯した罪は、今日の人間である私たちも生まれながらにして持っています。人類は、この二人との連帯性のゆえに、罪を受け継いでいるのです。親から悪いことするように言われなくても悪いことをしてしまう、良いことをしようと思っているのに罪を犯してしまうのは、この二人の物語にその端を発しているのです。

こういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。ローマ5:12

この後二人は、生みの苦しみや働くことの辛さを味わうようになるのですが、神様は憐みをかけてくださいました。蛇とエバの子孫の間に敵意を置くとは、やがて現れる救いの御子の到来を暗示しています。そしてエデンの園から追放されるとき、神様は動物を殺して、その皮を衣として二人に着せてくれたのです。キリストが十字架に私たちの身代わりとしてかかり、命を落としてくださった贖いの死を暗示している物語です。

太平洋戦争後の1946年に、南原繁は、東大の戦没学徒の慰霊祭で語りました。彼らの死は「国民的罪過に対する贖罪の犠牲に他ならない」と。キリスト者であった南原繁は、イエスキリストの十字架の死という物語を、戦争のために駆り出され命を落とした若き学生たちの物語に重ね合わせたのではないでしょうか。

神様は、今の時代にあってもなお憐れみ深い方です。悔い改めてイエスを信じるものに、その賜物として神様との交わりである命を無償で与えてくださっているのです。

罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。ローマ623

2013年11月23日 (土)

里の秋

今年も残すところ、あと1か月少し。丘の上の紅葉も進み、葉を落とし始めています。山の紅葉もいいのですが、ここもまたいいですね。紅葉狩りに行けなかった方も、丘の上で里の秋を楽しんでください。・

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2013年11月17日 (日)

創造の神

 

 

   

 

 

                
    
    

2013.11.17(霜月) 422 丘の上

    

春日部福音自由教会 山田豊

    
    

 

 

 

 

                
    
    

創造の祝福 創世記124-31

    

 

    

 

    
    

 

 

 

「初めに神が天と地を創造した」

これが聖書の語る、第一声です。ここには、神の存在の議論や神の定義はありません。読者に対して、一方的な宣言ともいえるものです。しかしこの言葉によって、どれだけ多くの人たちが救われ、新しい人生を歩み始めたことでしょうか。もうじき終了する大河ドラマの主人公八重さんの夫新島襄は、この言葉によってキリスト者となり、新しい日本を作っていく人材の育成は、聖書に基づくものでなければならないと確信した人でした。私の父は、長年中学校の教師であり、神社の前を通る時には最敬礼を欠かさない人でしたが、この言葉に出会って真の神は天地を造られた方であることを知ると、神棚を自分で取り外してしまいました。すべてのものをお造りになり、命を与えてくださる方は、人の手による宮や思想に収まることの無い方なのです。

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。伝道者121

創世記は、この世界が神様の秩序によって存在するようになったことを示しています。そのカギとなるのは、「種類に従って」という言葉です。しかし今の時代は、人の罪ゆえにこの創造の秩序が失われ、人間だけでなく、この世界にあるものすべてが苦しみ呻いているのです。自然破壊、異常気象も、その苦しみの一つです。未曾有湯の震災と原発の事故を経験した私たちこそ、創造の秩序を取り戻す必要があるのではないでしょうか。

私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。ローマ8:22

 

本日のテキストは、神による人の創造について書かれています。第6日目の出来事です。第5日目から、神様は造られたものを祝福し、第6日目の終わりには、「非常に良かった」と書かれています。そして人間には、他の生き物とは違う3つのことが祝福として与えられました。それは、地を治めるという文化の創造と、男女の結びつきによる子孫の繁栄と家庭の営み、そして造り主である神との交わりです。この交わりは、祈りによってもたらされ、他の生き物との決定的な違いです。そして、イエスキリストによって救われたものは、神様の作品として、よい行いをすることが備えられているのです。日々の営みです。誰でも自分の作品をいとおしく思うように、神様はご自身の作品である私たち一人一人を最も価値あるものとして、生かしてくださっているのです。誰一人として、この世に生きていく価値のないものはいないのです。

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。

エペソ2:810

2013年11月 9日 (土)

いのちの泉

いのちの泉 ヨハネ4:5-14

2013年11月10日 幼児祝福式

 

 

 

福音とは、英語でグッドニュース、よい知らせと言います。その内容は、世界の始まりから終わりまでの、壮大な物語、ドラマです。聖書は、初めに神がおられた、といいます。神はすべてのものをお造りになりました。私たちに見えるもの、まだ見ることのできないものも、すべてを造られた創造主なのです。また神様は、人をも造られたのです。その代表を、アダムとエバと名付けました。二人は神様に従っていたのですが、あるとき神の言葉に従う代わりに、悪魔と自分たちの声に従ってしまいました。残念なことに、アダムとエバの子孫たちは皆、その思いの深いところで、神様に逆らっていました。その象徴的な出来事が、ノアの時代に起きた洪水とバベルの塔の建設です。

 

しかし神は人間の歴史の中で、人類が神に帰る機会を与えてくださったのです。

 

時がたって、北王国イスラエルが滅び、南王国ユダは、バビロンにとらわれの民となって引かれていきました。しかし悔い改めた人々はエルサレムに戻り、城壁や神殿を再建し、再び律法を読んで、霊的な復興を遂げました。

 

その後およそ400年にわたり、預言者は現れず、神の言葉が語られない沈黙の時代となりました。しかし時が満ちて、神様は人としてこの世をすくために来られたのです。マリヤとヨセフを通してお生まれになったイエス様です。

 

しかしその時代の人たちは、イエスを訴え、ついに十字架につけられてしまいました。しかし彼らは、知りませんでした。実は、本来ならば自分たちがその罪のゆえに神の罰を受けて死ぬべきであることを。

 

すべてのことが終わったかのように見えましたが、実はここから福音の物語のクライマックスへと移っていくのです。葬られたイエスは三日目に甦り、全く新しいからだとなって人々に現れたのです。

 

クリスチャンには、聖霊が与えられていました。この聖霊は、彼らのうちに住んで、キリストに似た者へと変えることのできる力を持っていました。とはいえキリスト者も、罪を赦された罪人であり、不完全なものです。教会も、完全ではありません。しかし希望を持っているのです。主イエスが再び来られるとき、自分たちも新しいからだに甦り、教会は花嫁となってキリストと一体になることを。サマリアの女は、救い主であることを知ったとき、主を受け入れたのです。イエス様は子供たちを祝福して、言われました。「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」マルコ10:15

 

イエス様こそが、いのちの泉であり、福音の物語の主人公です。この水を飲むもの、すなわち、イエス様の物語を自分の物語と重ね合わせる者は、神様のとの交わりを回復し、もう一度新しく生まれることができるのです。今朝私たちも子供のような素直な心になって、このいのちの泉をいただき、神様の祝福に与りましょう。

2013年11月 2日 (土)

一緒にゴールイン

本日113日は、「文化の日」です。もともと1911(明治44)までは、天長節と言って明治天皇の誕生を祝う日で、国民の祝日でした。しかし、113日は日本国憲法が公布された日であり、日本国憲法が平和と文化を重視していることから、1948年(昭和23年)に「文化の日」と定められました。憲法の精神を生かした祝日であるとは、いいことですね。キリスト者にとって、福音の文化を生み出し、育て、そして次の世代に引き継いでいくことは、大切なことではないかと思います。

ところで、先週NHKの番組で、11年ぶりに復活した山梨県立甲府第一高等学校の「105キロ 強行遠足」が取り上げられていました。一人の男子生徒に密着したドキュメント風の番組で、後半だけで見ることができました。3人の仲間と一緒に歩き始めたのですが、一人になってしまう。途中他の学生と一緒になり新しい5人グループを作って、その先頭に立ちます。その仲間が、足の痛みなどで遅れだし、制限時間内にゴールできるかどうかわからなくなってしまいます。仲間から「俺らのことは気にしないで、先に行っていいよ」と言われ、はてどうしたものかと悩んでしまう。しかし彼は、「一人で歩くことのつらさを知っている、これ以上人を切りたくない」と言って、先頭になって引っ張っていくのです。そして制限時間内に小諸につき一緒に肩を組んでゴールイン!体育系の人間にとって、ここは感動しますね。これも一つの、文化活動と言えるでしょうか。

イエス様を目当てに走る信仰の生涯は、一人ではあるけれど信仰の仲間がいる、すでに召されたものは雲のような証人として励ましてくれている、そんなことを又思わされた番組でした。

私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。1コリント9:26

2013年11月 1日 (金)

八海山に登る

念願の八海山の登頂に、成功しました。とは、オーバーな言い方ですが、20か所程ある鎖場を何とかクリヤーして、八峰を登り、無事に降りてくることができました。Dsc_0366

台風一過の火曜日、晴天そしてほぼ無風という絶好のコンディションのため、地元の方も来ていました。今シーズン最後の、登頂には最適の時だったと思います。憧れの(?)の地蔵岳に立ち、「さらば越後」というよりは、360度の眺めのなかで、この山や川が自分を育ててくれたんだと、という実感がわいてきました。ここで手を合わせるのが、日本人なのかもしれませんね。私は、天地を造られ、ここまで導いてくださった神様に、感謝を改めて捧げました。

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この山登りで、気分転換。これから秋の諸行事とクリスマス、そして新しい年に向かってリセットされるときとなりました。

八海山の土産を買い、温泉で暖まり、帰路につきました。

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