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2013年12月22日 (日)

求道の果てに

2013.12.22(師走) 423 丘の上

春日部福音自由教会 山田豊

 

主イエスキリストのご降誕、おめでとうございます。本日は、降誕祭を覚える主日の礼拝の日となっています。

本日のテキストは、東方の博士が幼子イエスにまみえ、礼拝をささげる物語です。出来事としては、この博士たちの来訪は、ルカの記している羊飼いの来訪から八日目がたち、聖家族がイエスに割礼を施すためにエルサレムに上ったあとのことだと思われます。博士と訳されている言葉は、賢者、王とも訳され、言語では「マゴイ」と書かれています。彼らはユダヤから見て東方のペルシャあたりから来た、星の運航を研究している人たちだったと思われます。羊飼いたちよりもずっと長い、苦難の旅であったと思います。その旅は、私たちの人生を象徴するものでもあるでしょう。

2次世界大戦の終結から40年後の1985年に、西ドイツの大統領であったヴァイツゼッカー氏は「荒野の40年」と題する演説を連邦会議で行いました。キリスト者である大統領は、出エジプトを果たしたイスラエルの民が40年間荒野をさ迷い歩かなければならなかった歴史に例えて、先の大戦で犯したドイツ民族の罪を悔い改め、新しい平和への道を歩む決意を語ったのです。この演説はしばしば引用される味わい珠玉の言葉が織り込まれており、日本語にも翻訳されました。ちなみに、ヴァイツゼッカー氏は日本のある陶芸家がベルリンの壁の破片を釉薬として作った楽茶碗を購入し、その銘をUnity in Peaceと名付けたのです。素晴らしい感性ですね。

マタイが描く東方の博士の姿は、私たちが自らの人生を歩んでいく姿を想起させます。あなたの人生は、荒野のようなものだったでしょうか。鳥取の砂丘よりも広くて深い、砂漠のようなものだったでしょうか。あるいは、緑豊かで植物が生き生きと茂るさわやかな草原のようなものであったかもしれませんね。そのような人生はすべて、求道の旅です。博士たちが旅の果てに見つけることができたのは、新しい王としての救い主キリストでした。そのキリストに、彼らは持ってきた宝物のすべてを差し出して礼拝をしたのです。このキリストを礼拝すること、それこそが、クリスマスの真の意味なのです。

ヴァンダイクの短編小説に「もう一人の博士」という作品があります。博士たちに関する伝説をもとにして作られた小説です。集合時間に遅れたもう一人の博士を求道者に見立て、救い主を求めて一生を捧げる人の苦しみと美しさを描いているすぐれた作品です。私たちの求道の果てには、御子を信じるものの希望である、天国があるのです。

 

キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。1ペテロ3:18

 

 

 

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