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2013年12月15日 (日)

神様がともにいてくださる

神の御子イエスキリストの誕生物語は、マタイの福音書と、ルカの福音書に書かれています。マタイの福音書には「イエスキリストの誕生は次のようであった」とありますが、ヨセフの葛藤を中心に描かれています。

ヨセフとマリヤは婚約中でしたが、まだ一緒に住んではいませんでした。そのマリヤが身ごもったということが、ヨセフの耳に入ってきました。まだ一緒になっていないのですから、マリヤが他の男性と関係を持った、つまり姦淫の罪を犯したとしか考えられません。彼は「正しい人」でしたから、このような女性は当時の律法に従って石打にされることを知っていました。しかしそのようなことは到底ヨセフにはできないことであり、彼女を気遣って「内密に」離縁することに決めたのです。これは彼にとって、大きな苦悩となりました。

このような時に夢の中で天使が現れ、マリヤの妊娠は聖霊による神様の特別なことであり、恐れることなく彼女を妻として迎え、生まれる子供は救い主であることを告げるのです。このようなことは、到底理解できないことであり、人々にマリヤの妊娠が聖霊によるものであって罪を犯したのではないと語ったところで、誰が信じてくれるでしょうか。しかしヨセフはマリヤを妻として受け入れる決心をし、子供が生まれるまで、彼女を知ることがなかったのです。男としての欲望を自制したということです。彼は以前の決心とは正反対のことを、新たに決めたのです。

ヨセフは、なぜこのようなことができたのでしょうか。それは信仰による決断です。神がともにいてくださる、という信仰が、このような決断をさせたのです。天使の語る神様の言葉を信じたので、恐れていた彼の心が寒さの中にも澄み切った青空が広がる小春日和のように暖かくなったのです。じつに「恐れるな」という言葉は、かつてマリヤにも語られた言葉であり、クリスマス物語を理解するキーワードとなっています。

しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。(ルカ129,30

私たちには、何かしらの恐れがあります。人として生きている限り、漠とした不安から逃れることはできないでしょう。そのような私たちに、神はともにいてくださると語ってくださるのです。絶望的な孤独の中でも、神がともにいてくださる、イエスはインマヌエルのお方であることを信じるものは、幸いなのです。

見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。マタイ28:20

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