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2014年1月 6日 (月)

江戸切支丹屋敷跡

 1月6日、昨年の江戸切支丹巡礼ツアーの地図にあった、切支丹屋敷跡を訪ねに出掛けた。同行者は、群青に名文を寄せてくれているO君である。

 丸ノ内線茗荷谷駅で待ち合わせ、まずは王将餃子で腹ごしらえ。春日通りに出て、街の案内板を頼りに屋敷跡をめざす。途中、最後の将軍徳川慶喜終焉の地を通り、少し駅に戻るような形で屋敷跡の標柱と説明板を発見。E新聞社の前にあるのであるが、うまいタイミングでその会長さんご夫妻と出会った。会長さんは初対面にもかかわらず、戦国時代から鎖国、キリスト教禁制、そして開国までのお話しを熱く語ってくださった。ここは、イタリヤの宣教師シドッチが捕えられており、新井白石が彼を訊問した屋敷で、それがもとになって「西洋紀聞」が生まれた。すぐ近くに煉瓦造りの立派な家があり(個人宅と思われる)、入口には、そのことを記念したと思われる切片がはめ込まれていた。残念ながら不在のようで、その詳細を聞くには至らなかった。

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 次に切支丹坂を下って丸ノ内線のガードをくぐり、再び春日通に出て、浄土宗のお寺である伝通院に向かった。ここは徳川家康の母、於大方をはじめ、徳川家所縁のお墓がある寺として有名なところ。我々が見たいのは、棄教後もっとも長く切支丹屋敷に幽閉されていた宣教師ジュゼッペ・キャラの墓、あるいは供養塔であった。案内の方に伺うと、かつての場所から動かされ、一番隅にあるとのこと。一生懸命探すこと10分余り、O君が見つけてくれた!確かに、隣地の塀にくっつくように供養塔と説明が刻んである石碑が建っていた。イタリヤの大使によってできた記念碑である。塀とのスペースが狭く裏に刻まれた文字は読むことができない。建てられいるのはありがたいが、その置かれた場所が日本におけるキリシタンの精神的な場所なような気がして、ちょっと切ない気持ちになった。その後、O君は柴田錬三郎の墓を探したのであるが、その顛末は群青にアップしてくれるだろう。

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 そのO君が後楽園の方から帰ろうと言ってくれたので、春日通りを進むと、天井が円盤形をした高いビルが目に入った。文京シビックセンターである。じつはこの場所は、事前に行って資料を集めたいと思っていた所である。これはラッキーということで、20階の教育委員会でより詳しいお話を伺い、今は絶版となった「ぶんきょう史跡めぐり」から屋敷についてのコピーをいただくこともできた。26階の展望デッキからは、冬の晴れ渡った東京の街を見下ろすことができ、筑波山、秩父の山並み、そしてうっすらと富士山を眺めることもできた。無料でこんな絶景を楽しめる場所があったとは!コーヒーを飲んで一休みするつもりであったが、今日半日の収穫に満足して、家路についた。

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 厳しい取り調べを受けた切支丹たち、転んだ宣教師をもう一度回心させるために禁教下の日本にやってきて息絶えた宣教師たち、彼らは死んだが「その信仰によって、今もなお語っています」(へブル114)とのみことばが、思い浮かんだ。

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