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2014年2月 9日 (日)

旅路の祝福 創世記49:22-26

旅をすることは、楽しいことです。出掛ける人も見送る人も、無事に帰ってくることを願い、再会できることを楽しみにしてその日を待つのだと思います。

本日取り上げる人物であるヨセフは、先週お話ししたヤコブとラケルの間に生まれた子供です。彼はヤコブに溺愛されて育ち、兄たちの妬みを買います。ある日穴に突き落とされたヨセフはエジプトに売られ、父親には獣に食い殺されたと報告されてしまいます。その後いろいろな苦難がありましたが、彼はエジプトでパロに仕える宰相となり、カナンの地の飢饉で食べ物を求めてやってきた兄たちと再会いたします。そしてついに、父と弟ベニヤミンとも会うことになります。この辺りは大変感動的なストーリーで、創世記4245を改めて読まれることを、お薦めします。

今日の聖書箇所は、彼の父ヤコブが自らの死の近いことを知って子供たちを呼び寄せ、一人一人を祝福する場面です。彼らがイスラエル12部族の先祖となるわけです。ヨセフへの父の言葉は他の兄弟たちに勝って、祝福に満ちています。多くの苦難をなめたヨセフでしたが、一言でいえば「実を結ぶ若枝」だったのです(22)。彼はエジプトにおいて高い地位につき、財産も妻や子供たちにも恵まれました。飢饉のときには、故郷の父や兄たちのことをひと時も忘れることなかった心優しい人物でした。何よりも素晴らしいのは、彼が死の床に就いたときに、自分の骨について指示していたことです。すなわち、自分の葬りについてしっかりとした考えを持ち、残された人たちにそれを伝えたのです。異郷の地エジプトではなく、先祖の地に葬られることを願ったのです。聖書は、このことを信仰によることと評価し、実際にモーセがエジプトを脱出するときに実現したのです。

信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子孫の脱出を語り、自分の骨について指図しました。(へブル11:22)

モーセはヨセフの遺骸を携えて来た。それはヨセフが、「神は必ずあなたがたを顧みてくださる。そのとき、あなたがたは私の遺骸をここから携え上らなければならない。」と言って、イスラエルの子らに堅く誓わせたからである。(出エ13:19)

 私たちの社会でも、自分の葬儀やお墓について、生前しっかりと家族などに伝えておくようと言われています。大きな病にかかった時、どのような治療を受けたいかというようなことも含めて、エンディングノートに記すようにということも言われています。まさに自分の人生という旅路の最後をどのようにするか、死の備えをしっかりすることが本人だけでなく、遺された人たちへの思いやりでもあると言わんばかりの風潮です。確かにこれらのことは、大切なことでしょう。

しかしもっとも大切なことは、創造主である神様に会う備えをすることです。その備えとは、特別なものではありません。日々の生活の中で、神様を第一として過ごすことです。旅路の祝福は、どのような形で最期を迎えるにしても、神に会う備えをして今日を過ごすことなのです。

それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。(アモス4:)

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