フォト
無料ブログはココログ

« 旅路の祝福 創世記49:22-26 | トップページ | 苦難の前に マタイ17:1-13  »

2014年2月23日 (日)

紅爐上一點雪

紅爐上一點雪(こうろじょういってんのゆき) 

本日は、東京武蔵野福音自由教会での奉仕なので、ちょっと変わったお話しです。

「紅爐上一點雪」

 先週の出げいこの掛物にあった、禅語である。「茶席の禅語」には「出典『碧巌録』 紅炉上一点雪は、紅々と燃える炉のうえに一点の雪が降ってきても一瞬のうちに消えてしまうように、仏心や仏性をもって煩悩や妄想を払いのけることをいう。」とあった。

この言葉の解説を調べてみると、「生への一かけらの執着もなく、死への微塵の恐怖もない、死ぬもよし、生きるもよし」「生きること死ぬことに執着しないこと」「煩悩が起きても、それに引きずられないこと」などという解説があった。また「紅炉」は、しっかりした心、求道心、強い意志を表す言葉である、ともあった。

子供のころ、学校には達磨ストーブが置いてあった。石炭の燃えているストーブに、雪玉やつららを押し付けると、ジュ~と音と立ててたちまち溶けていったことが思い起こされる。

この言葉は、「私にとっては生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」というパウロの心境を思い起こさせる(ピリピ1:21)。何事にもとらわれず、ただ自分の道を進んでいく、ザビエル画像にある真っ赤に燃えるハートのように、イエス様の心がすべてを溶かして、神様への道に私たちを導いてくださるのではないだろうか。

« 旅路の祝福 創世記49:22-26 | トップページ | 苦難の前に マタイ17:1-13  »

礼拝メッセージ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 紅爐上一點雪:

« 旅路の祝福 創世記49:22-26 | トップページ | 苦難の前に マタイ17:1-13  »