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2014年3月 9日 (日)

良きものは神から来る ヤコブ1:12-18

キリスト教会の暦、教会歴では、先週からイエス様の苦しみを覚える受難節に入りました。移動祭日である復活祭に合わせていますので、今年は灰の水曜日は35日でした。灰は苦しみを表す象徴でもあり、カトリック教会では断食をして主イエスの苦しみを覚えるということです。

ヤコブの手紙は、国外に散らされて信仰の試練にあっているユダヤ人キリスト者を励ますために書かれました。12節の「試練に耐える人は幸いです」というみ言葉は、マタイの福音書にある山上の説教の八福の教えと同じ書き方です。直訳すれば、「幸いなるかな、試練を耐える人よ」となるでしょう。

確かに、大きな苦しみのある試練を耐えることのできた人は、神様からの褒美として、いのちの冠を受けることができる光栄に預かるのです。ちょうどソチで行われているパラリンピックで、体に障害を持ちながらも苦しいトレーニングに耐えて協議をしているアスリートの姿を思い起こさせます。この試練と訳されているギリシャ語は、誘惑とも訳すことができます。その訳は、バージョンによって異なっています。それぞれの聖書の編集者が、意味を汲んで訳出しているのでしょう。

試練に関するよく知られたみ言葉は、1コリント10:13ですね。「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」英語では、この試練という言葉が、トライアルという訳ではなく、テンプテーション(誘惑、試み)と訳されているものがあります。ヤコブ書によれば、同じ苦しみでもそこを通過して命に至るのは試練であり、神様からきている苦しみです。しかし誘惑とは、自分の欲に負けて、罪の苦しみ、死をもたらすものです。ですから「人は神によって誘惑された」と言ってはならないのです。

しかしながら、苦しみにあっている人に軽々しく「その苦しみは、神様からの試練だね」ということもできないでしょう。東北大震災から、この11日で丸3年になります。今回の地震、津波、そして原発の大事故は、神様からの試練なのでしょうか。それとも、人間の欲望がその被害をさらに大きくしたものなのでしょうか?

しかしそのような苦しみであっても、上から来るものは良い贈り物だというのです。人工雪の研究で有名な中谷宇吉郎博士は、雪は天から送られた手紙だと言われました。雪を研究することにより、そこに秘められている気象状況を知り、雪害で苦しんでいる人たちからその苦しみを解き放つことにつながっていきました。雪国生まれの自分にとって、共感することのできる言葉です。

神様は、完全なお方で、私たちに対する慈愛は変わることがありません。自然災害で故郷が破壊されても、病や事故で今までと同じように体が動かくなっても、神様からの贈り物は変わらないのです。

「しかし、上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、また、あわれみと良い実とに満ち、えこひいきがなく、見せかけのないものです。義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」

ヤコブ317,18

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