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2014年4月20日 (日)

眠った者の初穂 1コリント15:20-28

「しかし今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」1コリント15:20

主イエスキリストの復活、おめでとうございます。本日は、十字架に付けられて死に、墓に葬られたイエス様が蘇られたことを記念し、これを祝う復活祭です。なぜかイースターと呼ばれ、街のパン屋さんにもこの期間限定のカレーパンが売られていました。もちろん中にはカレーだけでなく、ゆで卵が入っており、おいしくいただきました。

ゆで卵は、殻を破ってヒヨコが出てくる様子を、暗い墓の中からよみがえったキリストの復活に重ねられているわけです。聖書の語る復活、よみがえりは、単に死人が生き返ることではありません。ましてお化けになったり、マイケルジャクソンの「スリラー」のように死体が動き出すことではありません。死んだ人が全く新しくされる、ということなのです。

しかしそれは信じがたいことであり、どのようなことかわかりにくいことでもあります。そこで主イエスは自ら墓からよみがえり、復活の初穂となってくださったのです。初穂は、これから豊かな実りが続くことを示し、収穫の希望となる一本の穂です。イエス様が蘇ってくださったことにより、私たちも同じように復活し、時間や空間に制限されない、新しいからだになるのです。復活されたイエス様には、十字架に付けられた釘の跡と、わき腹をさされた槍の跡がありました。しかしその傷はすでに癒され、乾いていたことでしょう。私たちの復活のからだは新しくされていますが、傷を負ったままかもしれません。しかしそれは、癒されているのです。主イエス様は、罪からの救い主であり、私たちを癒してくださる方だからです。

今年311日、東日本大震災の3周年目に、渋谷にある観世能楽堂にて、能と文楽が上演されました。能の演目は、「聖パウロの回心」、そして文楽は「Gospel in 文楽、イエスキリストの生涯」というものでした。聖書の物語を、日本の伝統文化の様式を用いて表現したものです。文楽を担当した豊竹英大夫(とよたけはなぶさだゆう)氏は、キリスト者です。キリストの赦しを体験し、主の復活を信じる信仰者です。豊竹氏は、医療ミスによって幼いお嬢さんを亡くされるというつらい経験をされました。しかしこの日のプログラムには、「復活の物語には、亡き娘への祈りが重なっている」とありました。最後の場面はイエスキリストの復活で、締めくくられていました。

おお大いなる過ぎ越し おお大いなる初穂の日

ハレルヤハレルヤ

イエスは死の闇を砕きてよみがえりたもう。

光の子らよ喜び歌わん 光の子らよ喜び歌わん 

ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ アーメン

 イエスキリストの復活の物語を、あなたの物語に重ね合わせることができます。どんなにつらく悲しい物語であっても、新しいストーリーとして、復活するのです。主イエスキリストのよみがえりは、そのあとに続く私たちの人生の初穂として、輝いているのです。

 

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