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2014年7月13日 (日)

主なる神を求める時 創世記28:16-22

時代劇で2万回斬られた男・福本清三さんが主演する渋い映画が封切られました。タイトルは「太秦ライムライト」。チャプリンのライムライトがベースになっているのですが、「どこかで誰かが見ていてくれる」という本が原作のようです。大部屋俳優である福本さんの演技に注目する人はふつういないのですが、そんな役を精いっぱいこなしていった福本さんの自伝的著書です。ある時この本を読んで、マタイの福音書にあるように、私たちの神様は隠れたところで見ていてくださるお方であることを感じました。

アブラハムの孫にあたるヤコブは、双子の兄弟の弟として生まれました。しかし、彼は兄を出し抜いて長男の権利と祝福を奪い取ってしまいます。やがて兄エサウの怒りを感じて彼は家を出ます。本日のテキストは、あるところで野宿をしたとき、天使たちが天にまで届くように立てられていたはしごを上り下りしている夢を見た、という不思議な物語です。この場面は、「ヤコブのはしご」というゴスペルにもなっているそうです。

興味を引くのは、彼がこの夢を見て目覚めた時に言った言葉です。「まことに主がこの所におられるに、私はそれを知らなかった。この場所は、なんとおそれ(畏れ)多いことだろう。」彼は神を信じる家庭に生まれましたから、神様のことは聞かされていたはずです。信じてもいたでしょう。しかしこの夢を見たとき、彼は自覚的に神様がおられることを知り、そしておそれ、枕として敷いていた石を取ってそれを立て、この出来事の記念としたのです。さらに、神様から賜る物の十分の一を捧げるという請願まで立てるのです。もとより、十分の一どころか、全ては神様からきています。これは彼の献身の決意表明です。ヤコブにとって、神が生きておられることを知った、最初の体験でしょう。

天地を造られた神様は、私たち一人一人のことを心にかけておられるのです。そして私たちの行くところどこにでも、共にいてくださる方なのです。こちらは気づいていなくても、まるでかくれんぼで隠れている子供が鬼をしっかり見ているように、神様は絶えず私たちを見てくださっているのです。それは、順風満帆な時だけではありません。どんなひどい状況や病の床にあっても、仕事や勉強に励んでいる時でも、大恋愛中であっても、神様はそこにいてくださるのです。そのことに、あなたは気付いているでしょうか。極端に言えば、たとい罪の中に落ちたとしても、なお神様はともにいてくださるのです。その置かれたところで主なる神を求める者に、神は次の三引を示してくださるのです。

ホセア10:12 「あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。」


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