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2014年8月 3日 (日)

人を生かすもの 2コリント3:1-11

 あなたの「座右の銘」は、何でしょうか。たとい短い言葉であっても、勇気づけられたり慰められたりします。逆に、言葉によって人は傷つき意気消沈してしまうこともあります。言葉は、とても不思議ですね。

 モーセが神から受け取った十の言葉をもとに、イスラエルの民を導く律法が神様から与えられました。時代がたつにつれて、律法の解釈や説明が人の手によって造られるようになり、イエス様の時代には毎日一つずつ戒めを守っても、一年間で全部守り行うことができないほど、多くの決め事ができたと言われています。どうも律法が本来持っていた目的から、ずれてきたようです。先にもまなんだように、イエス様は書かれた文字に縛られない、新しい生き方を人々に教えました。しかし律法を無視したわけではありませんでした。むしろ、律法を実現する方として来られたのでした。

「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」(マタイ5:17)

 本日のテキストにある、「石の板にではなく、人の心の板に書かれた」という言葉、「文字は殺し、御霊は生かすからです」という表現、モーセの顔を人々が見つめることができなかったという記事は、彼が石の板に書かれた十の言葉を持って山を下りてきたことを思い起こさせています。そして、人を生かすものは、人間の言葉ではなく、聖霊に導かれた神様の言葉であることを、このように相反する二つのことを対比させることによって、明確に伝えているのです。律法を行うとすることによって、かえってつみ深い自分の姿を見せつけられます。しかしそのことによって、私たちの魂は真の救いを求めて、イエス様に導かれるのです。まさに、律法は私たちを神の御もとに導く、養育係でした。そして今、イエス様を信じる者は、聖霊によって導かれ、書かれた人の言葉でなく、心に刻まれた神様の言葉によって生きる者とされたのです。神様の言葉こそが、人を生かすもっとも大いなる座右の銘となるのです。

 兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。

ガラテヤ5:13,14

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