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2014年9月

2014年9月28日 (日)

仕える人生 創世記47:1-12

 江戸時代には、父母や妻子など家族が重い病に倒れたときは、看病や介護のために休暇を申請できる制度がもうけられていました。「看病断(かんびょうことわり)」と呼ばれるもので、一定期間出勤を免除され、病人の看病に専念することができたのです。
 出エ20:12には、
「あなたの父と母を敬え。あなたの神、が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。」とあり、エペソ6:2には、「これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、『そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする』という約束です。」ともあります。日本にも、聖書と同じ趣旨のことばがあったのですね。
 聖書の中で、この戒めを実行した人の一人は、ヨセフではないでしょうか。エジプトにいたヨセフは、全土を襲った飢饉で父や兄弟たちが苦しんでいるのを知って家族をエジプトに呼び寄せ、ラメセスの地に住まわせました。父ヤコブが病になると、子供を連れて父のもとを訪れ、最期の息を引き取るまで看取りの介護をしました。父が亡くなると、遺言通りにカナンの地に戻って立派な葬儀を行い、先祖の墓に葬ったのです。
 彼はこのように親や兄弟に尽くしたのですが、彼がエジプトにいたのにはわけがありました。ヨセフは、父ヤコブの年老いてからの子で、ヤコブが愛したラケルの最初の子であり、他の異母兄たちよりもヤコブに愛され、立派な服を着せられたりしていました。高慢な振る舞いもあり、結果としてヨセフは兄たちから憎まれ、エジプトに売られてしまいました。エジプトで彼はパロに仕える者となったのですが、兄たちと再会したとき、数奇な出来事を通して彼は砕かれ、父や兄に本当に仕える者に変えられていたのでした。
 ヨセフもまた、イエス様のひな形として描かれている信仰の人物です。彼は父ヤコブの祝福のように、実を結ぶ若枝としての生涯を送ったのでした。
 私たちも仕える者として、まず自分の家族の中でその振る舞いをし
(1テモテ5:8 もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。)信仰の家族(ガラ 6:10 ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。)、そして周りの人たちにも本当に仕える者として、実を結ぶ日々を送りたいものです。

ロマ 14:18
このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。


 

2014年9月21日 (日)

落穂ひろい

 本日は中央会堂で、ルツ記の4章から、「私を贖う方」という説教です。内容は9日の丘の上での説教と同じです。中央での本日の説教の最後に、ミレーの「落穂ひろい」を思いめぐらしたいと思います。
 この絵は日本人も好きなミレーの作品で、パリのオルセー美術館に所蔵されていることは、ご存知でしょう。3人の女性の農夫が、落穂を拾うところを描いている作品です。一連の作品で、山梨美術館には「落穂ひろい、夏」という作品が納められています。これらの作品は、ミレーが過ごした時代と、自らが農作業に従事していた子供のころをもとにしていると思います。それと共に、聖書に描かれているルツ記を背景にしているとも思います。
 ルツ記は、ユダヤ人から見れば外国人であるルツが、ボアズによって義理の父の土地と共に買い戻され、すなわち妻となって、ダビデ王に連なる子供を産む物語です。中心のことばは、買戻しの権利、贖いです。夫を失い、異郷の地であるベツレヘムに移り住んだルツを神様が顧みてくださったのです。
 「私の贖い主は生きておられる!」
 どんなに惨めな生活を強いらるような者にも、神様は慈しみの光を注ぎ、愛を持ってはぐくんでくださり、私たちに命ある日々を与えてくださるのです。ミレーの落穂ひろいは、そんなことを改めて語る「キャンバスに描かれた説教」のようです。

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2014年9月14日 (日)

救いのことば  使徒13:7-26

窮地に陥っていた時、ある言葉によってそこから脱出できたという経験を、多くの人が持っていると思います。ちょっとした一言が、大きな助けになるということも、ありますね。

伝道の旅を続けていたパウロは、アンテオケにおいて会堂に集ってきた人たちに奨励のことばを語りました。その冒頭は、イスラエルの民族の歴史を概観することでした。士師の時代の最後になると、人々は自分たちを治めてくれる王を求めました。神様は彼らの要求に応えて、サウロを最初の王として立てました。王は、ダビデ、ソロモンと続くのですが、ソロモンの死後王国は北と南に分裂し、いろいろな王が二つの国を治めるようになりました。パウロはユダヤ人が知っているこのような歴史を覚え乍ら、神はダビデの子孫から救い主イエスを送ってくださったことを明らかにします。イエス様の言葉は救いのことばでしたが、実はイエス様ご自身が救いのことばであったのです。

そのことは、ヨハネの福音書の冒頭にはっきりと記されています。「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」(ヨハネ1:1)

しかしイスラエルの民はこのイエスを救いのことばとは認めず、彼を死刑にするようピラトに要求したのです。そしてイエスは十字架に付けられ、処刑されてしまいました。イエスは葬られた後三日目に甦り、今は天の御座について私たちのためにとりなしをしてくださっています。ここでのポイントは、イスラエルの民は自分たちの求めていた救い主、真の王である方を拒んでしまった、ということです。人は、救いや王を求めながら、実際には自分が王になろうとする悪の心を持っています。それは誰の心にもある、肉の欲求です。イエス様を信じていても、心の王座には相変わらず「自分」がで~んと座っているということがあるのです。そんな人の思いを知って、パウロは皮肉たっぷりに言います。「あなたがたは、もう満ち足りています。もう豊かになっています。私たち抜きで、王さまになっています。いっそのこと、あなたがたがほんとうに王さまになっていたらよかったのです。そうすれば、私たちも、あなたがたといっしょに王になれたでしょうに。」(1コリント4:8)

かつて人々は、イエス様を無理やり王にしようとしたときがありました。しかしイエス様は、そこを去っていったのです。ご自分の時はまだ来ておらず、人々が本当にイエスを王としてはいなかったからです。イエス様は、救いのことばであり、命のことばです。イエス様の言葉を私たちの中に豊かに住まわせるとき、大きな力と深い慰めをいただくことができるのです。聖書に書かれている救いのことばを心に復唱して、新しい一日を過ごしてまいりましょう。

キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。コロサイ3:16


 

2014年9月12日 (金)

春日部市民文化講座 第2回

 来月10月8日は、第2回目の市民文化講座です。今週も、はげしい雨が降り、道路が冠水する騒ぎとなりました。昔も今も、水を治めることは容易ではありません。今回のゲストは、そんな河川の歴史に詳しい、学芸員の方のお話しです。そしてメインのお話しは、大河ドラマにも登場する、高山右近の茶の湯です。皆様のご参加を、お待ちしております。詳しくは、以下を!

2014年9月 7日 (日)

私を贖う方  ルツ4:7-12

ミレーの「落穂ひろい」は、日本人も好きな絵の一つでしょう。この光景は、聖書のルツ記に出てくる美しい場面です。

ナオミの嫁であるルツが、ボアズという人の畑の落穂を拾いに行くのですが、ボアズの好意を受け、後に結婚することになります。ナオミは夫に先立たれ、二人の息子はそれぞれ結婚したのですが、二人とも死んでしまい、二人の嫁と暮らしていたのでした。しかしいつまでも嫁を縛っておくわけにはいかないと思い、彼女たちを実家に帰らせようとします。しかしルツはお義母さんを捨てるわけにはいかないと言い張り、家にとどまっていたのでした。ボアズはやがて、ルツをめとる決心をします。そのために、彼はナオミの夫が残した地所も併せて買い取ることにしたのです。しかし彼の土地を買い戻す権利を持っていて、それがボアズより上位の人がいました。初めはその人が、土地を買い戻そうと主張しましたが、ナオミの夫の子孫を残すために、ルツも一緒にめとらなければならないと知って、その権利を放棄します。ルツがモアブ人という異邦人であったことと、ルツを養うためにお金が余分にかかることが、放棄の理由であったかもしれません。ボアズはナオミの夫の土地を買い戻し、ルツを妻とし、子供が与えられるようになります。やがてその子供はダビデ王の先祖となり、イエス様誕生の系図にも入れられるようになるのです。これがルツ記の概略です。

この中で、「買戻しの権利」という言葉が出てきます。この言葉は、「贖い」という意味も持っています。ルツ記の物語は、神様による私たち罪人を贖うことをあらかじめ表したストリーともいえます。義理の父や夫を失い悲しみの中にあったルツを、ボアズは必要な金額を払って買戻し(贖い)、自分の妻という新しい身分を与えたのです。神様は、罪の中に苦しんでいる私たちを、贖いの代価としてイエス様の命を払い、罪の中から買い戻してくださった、すなわち、贖ってくださったのです。かつて、人として苦しみの極みを味わったヨブは、こう歌いました。「私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。」(ヨブ19:25)

ルツが祝福された生涯を送ったように、贖われた者は神様の祝福を受ける人生へと変えられるのです。

この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。

コロサイ1:14

2014年9月 2日 (火)

チャリティー茶会のお知らせ

 9月2日、今日は久しぶりに良い天気。すっかり秋の風情になってきています。今年も、晩秋の茶会が丘の上でもたれます。特別ゲストは、彫金の人間国宝、桂盛仁先生です。教会の社中は、復活の庭で野点席でのおもてなし。新人もデビューしますので、ご期待ください。

日程は、11月8日、皆様のお越しを、お待ちしております。
詳しくは、こちらから→「17charity_chakai.pdf」

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