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2015年1月 1日 (木)

イエスの道を進む 2015.1.1 マタイ5:43-48

2015年、明けましておめでとうございます。本年も、み言葉に仕えてまいりたく、よろしくお願いいたします。
 この「おめでとう」というのは、「愛でる、めでる」からきているそうです。大切にする、尊いものと思う、という意味であり、新しい年になってお互いを祝福する挨拶のことばとして用いられていると考えられます。
 本日の聖書箇所は、イエス様による山上の説教の一節です。48節は、この中心ともいえる聖句で、キリスト者がイエス様の弟子として進むべき目標を表しています。
 「天の父が完全であるように、完全でありなさい」
 ここでの完全という意味は、欠点が一つもない聖人君子のことではありません。そちらのせいじんではなく、成人、大人という訳になっているように、キリスト者として成熟していくことを表しています。父なる神様に倣っていく、つまり、イエス様を目当てとして成長していくキリスト者の歩みを示しているのです。
 「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(へブル12:2a) 
 イエス様がこのように言われる前に、敵を愛し迫害する者のために祈ることが命じられています。なかなかできないことです。その文脈で、
「天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。」(マタイ5:45)と言う言葉が出てきます。これは、神様の恵みはすべての人に分け隔てなく与えられているということを、自然の太陽や雨に例えて言われているところです。このことを私たちが本当に理解する時、あなたの嫌いな人も、神様には愛されている、大切な存在であることに気づきます。そして自分のことが嫌になっている人は、実は神様からご覧になれば、愛する大切な存在であることに気が付かないでしょうか。
 神様は、この自然界の管理を人間に託しました。しかし人間は、神様の造られた自然の秩序を自分たちの都合の良いように変えてしまった結果、本来平等に与えられている恵みをゆがめてしまったのです。不公平が生まれたのです。
 新しい年、自分も、そして隣人も大切にするために、このみ言葉に立ち返る必要があります。イエス様の道は、神様の恵みがどんな人にも等しく与えられていることを指し示す道なのです。


 

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