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2015年2月 8日 (日)

油注がれた方 1サムエル16:6-13  2015.2.8

イスラエルの初代王として油注がれたサウルでしたが、早くもそれにふさわしくないとして、主の前に退けられてしまいました。そして、主の心にかなった他の人に油注がれることとなり、エッサイの末子、ダビデに油が注がれるというのが、本日の物語です。
 ここでは、エッサイにもダビデ本人にも、この油注ぎが将来王になることにつながっていくことは告げられていません。いわば、秘められた物語です。この箇所で大切なみ言葉は、サムエルの前にエッサイの子供たちが連れてこられた時の彼のことばです。「人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る」(7)。何ともすごい言葉ですね。自分の心が神様に見透かされているとしたら、それはある意味怖いことです。しかし、自分が人の評価ではなく、神様が評価してくださるとしたら、それは何と力強いことでしょうか。
 ダビデは、確かに立派な姿をしていましたが、それは彼の心の中にすでに、神様に仕える思いがあって、その心が外見に現れていたことの証しでしょう。心があれば、それは外に出るのです。
 ナザレのイエスは、神様から油注がれたキリストです。と言っても、ダビデのように人から油注ぎを受けたのではなく、神様ご自身によってキリストとされたお方です。しかし同時代の人たちは、イエスの出自や親を見て、誰もキリストであると認めなかったのです。そして人が顔をそむけるほどさげすまれて、十字架に付けられてしまいました。しかしそれは、イエス様が人々の罪の赦しのために捧げられたいけにえとなったことを表しています。まことのメシヤ、油注がれた方であることを示しているのです。このことのゆえに、私たちは罪を赦され、神に近づくことができ、大胆に生きていくことができるのです。
 まことに油注がれた方と共に、今週も歩んでまいりましょう。

へブル7:25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。 


 

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