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2015年2月

2015年2月23日 (月)

 カワセミ発見!

 月曜日の午前、岩槻文化公園に出掛けました。久しぶりにに軽いジョギングをした後、以前教えていただいた池に行って、バードウオッチング。カモさんたちが3羽ほどいましたが、しばらくすると青い鳥がやってきました。まさにカワセミ君!初めて見るカワセミに、ちょっぴり興奮してカメラを構えました。目の前の木立につかまり、じ~と水面を見ています。扱いにまだ慣れていないため、いろいろいやっているうちに、バッシャ!という水音。翼を激しく動かして、水面に突入。そして上がってくるや、他の枝に飛んでいきました。飛び込みの瞬間をとらえることができず残念。再び同じ枝に止まって、またも水面をじ~~~。次のチャンスを狙っていましたが、一瞬カメラのセッティングを変えようとしたときにまたも水音。2度目のチャンスを逃してしまいました。しばらく元の枝に止まっていましたが、やがて飛び去ってしまいました。時計を見ると、10時40分ごろ。短い時間でしたが、初めてカワセミを見ることができ、まずは満足でした。小さな沼の方には、しばらく見ていましたが、鳥はやってきませんでした。次回は、体制を整えて来たいと思います。きれいな青でしたね。

Kawasemi

2015年2月22日 (日)

牧者である王 その2 Ⅱサムエル5:1-5 2015.2.22

 ダビデは、全イスラエルの王となりました。その生涯は、真子との牧者を表すものでもありました。それは、聖書の中に描かれています。そしてこのイメージは、イエスキリストにおいて、実現したのでした。

私たちも、このお方に生かされ、つながり、いのちの道を歩んでまいりましょう。

エゼキエル34:23,24 わたしは、彼らを牧するひとりの牧者、わたしのしもべダビデを起こす。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。主であるわたしが彼らの神となり、わたしのしもべダビデはあなたがたの間で君主となる。主であるわたしがこう告げる。

ヨハネ1011わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。14 わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。

詩篇23
 主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

2015年2月15日 (日)

牧者である王  Ⅱサムエル5:1-5  2015.2.15

サウル王の死後、しばらくサウル王につくイスラエルと、ダビデの出身であるユダ部族の間に争いが起こりました。そののち、ユダ族の王として油注がれたダビデはイスラエルの君主としても油を注がれ、ここにダビデが両部族の王として立つことになります。
 この当時、王は羊を飼う牧者に例えられていました。ダビデはイスラエルの歴史の中で、最も優れた王であったと共に、まことの羊飼いを表す王として描かれています。エゼキエル書には、「
わたしは、彼らを牧するひとりの牧者、わたしのしもべダビデを起こす。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。主であるわたしが彼らの神となり、わたしのしもべダビデはあなたがたの間で君主となる。主であるわたしがこう告げる。」(エゼキエル34:23,24)とあります。
 また詩篇23篇は、もっともよく知られたみ言葉の一つであり、病やいまわの際にある人たちにとっても、慰めのことばとなっています。「
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。・・・」
 このことは、主は良い牧者として私たちを知って愛してくださり、王として権威を持って導いてくださる方であることを示しています。ダビデは、新しい都をエルサレムに置きました。地上のエルサレムは、今微妙なバランスの上に平和が保たれていますが、天の都のひな形です。やがてそこから、主イエスがお出でになり、全く新しい天と地を開き永遠の平和の時代となります。
 主の再臨を希望として、今週も歩んでまいりましょう。

 けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。ピリピ3:20



2015年2月13日 (金)

冬の鳥たち

今週初め、故郷の上越に行ってまいりました。来月には北陸新幹線が運行されますね。新しい「上越妙高駅」と一体となった、信越線の脇野田駅から、線路は富山、金沢をめざして西の方角に伸びています。
 車窓から、すごい吹雪の中を飛んでいる、2羽の烏が見えました。人間様には疎まれているようですが、翼を駆って飛んでいる姿に、心打たれました。たくましいですね!杉林の方に飛んでいきました。
 高田公園のお堀には、カモたちが翼を休めていました。マガモのペアたちでしょうか。氷の張ったお堀で、彼らは何を考え、感じているんでしょうか。かすかに妙高山と、一昨年キャンプで過ごした南葉山が見えました。新潟は明日も、はげしい雪のようです。寒い冬でも、鳥たちはじっと春を待って今日も生きているんですね。
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Photo・・

2015年2月 8日 (日)

油注がれた方 1サムエル16:6-13  2015.2.8

イスラエルの初代王として油注がれたサウルでしたが、早くもそれにふさわしくないとして、主の前に退けられてしまいました。そして、主の心にかなった他の人に油注がれることとなり、エッサイの末子、ダビデに油が注がれるというのが、本日の物語です。
 ここでは、エッサイにもダビデ本人にも、この油注ぎが将来王になることにつながっていくことは告げられていません。いわば、秘められた物語です。この箇所で大切なみ言葉は、サムエルの前にエッサイの子供たちが連れてこられた時の彼のことばです。「人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る」(7)。何ともすごい言葉ですね。自分の心が神様に見透かされているとしたら、それはある意味怖いことです。しかし、自分が人の評価ではなく、神様が評価してくださるとしたら、それは何と力強いことでしょうか。
 ダビデは、確かに立派な姿をしていましたが、それは彼の心の中にすでに、神様に仕える思いがあって、その心が外見に現れていたことの証しでしょう。心があれば、それは外に出るのです。
 ナザレのイエスは、神様から油注がれたキリストです。と言っても、ダビデのように人から油注ぎを受けたのではなく、神様ご自身によってキリストとされたお方です。しかし同時代の人たちは、イエスの出自や親を見て、誰もキリストであると認めなかったのです。そして人が顔をそむけるほどさげすまれて、十字架に付けられてしまいました。しかしそれは、イエス様が人々の罪の赦しのために捧げられたいけにえとなったことを表しています。まことのメシヤ、油注がれた方であることを示しているのです。このことのゆえに、私たちは罪を赦され、神に近づくことができ、大胆に生きていくことができるのです。
 まことに油注がれた方と共に、今週も歩んでまいりましょう。

へブル7:25 したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。 


 

2015年2月 7日 (土)

鳥の目

 鳥をカメラで撮ってみて、初めて気が付いた。知っている人には当たり前なのでしょうが、鳥の目の色が、違うのです!近くの親水公園にいる、鳥を撮影。大きくしてみたら、何と目が赤い!図鑑を見たら、オオバンという水鳥。しかも、カモの仲間ではなく、ツル目クイナ科の鳥だという。いやあ、水鳥はみんなカモだと思っていたら、いろんな種類があるのですね。黒や、黄色の目をした水鳥もいるとか。やはり「空の鳥を見よ」は、奥が深い。

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