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2015年3月 6日 (金)

キリストが教会を愛された エペソ5:22-33  2015.3.8

丘の上会堂の礼拝堂前方の床は、石のモザイクによって天国の様子が描かれています。花婿と花嫁が寄り添い、12人の天使たちがそれぞれ楽器を持って、二人の結婚を祝福している絵柄です。これは、文字通り結婚の祝福と共に、キリストと教会の関係を表しています。
 教会を理解するには、いろいろな仕方があります。組織、芸術、歴史や国の変遷からなどの視点から考えることができます。もちろん旧約聖書の書かれている選びの民としての集まり、集会や礼拝をする場所としての幕屋や神殿が、教会の原型であったと考えることもできるでしょう。
 パウロは、人間のからだを元として、「教会はキリストのからだである」という考えを述べています。もちろんこれは神様から霊感を受けて語っていることであり、彼の勝手な考えという意味ではありません。それはコリント人への手紙に表れ、エペソ人への手紙では、その考えがさらに深められていっているのです。囚われの身になって、自分の身体に囚人としての痛みを感じ、苦しみの中でも兄弟姉妹を気遣うパウロの心の中で、教会はキリストのからだであることを深く思うようになったのでしょう。そしてこのことは、人間生活の営みで最も深い、夫婦や家庭のあり方へと適応されていったのです。
 パウロはまず、キリストは教会のかしらであると述べています(23)。人の集まりとしての教会の管理責任者は、多くの場合牧師でしょう。宗教法人であれば、代表役員や役員会が教会運営をになっていくことになります。しかし牧師や役員が、教会の中で一番偉いのではありません。あくまでも、イエスキリストがかしらであり、牧師も含め全ての信者はこの方のもとにあるのです。またキリストは教会を愛されました。ご自分の命をお捨てになるほど、愛してくださったのです。ヨハネ13:1にあるように、ご自身の愛を余すところなく示されて、十字架に付けられたのです。花婿が花嫁を愛して夫婦の交わりを持ち家庭を築いていくように、キリストが私たちを愛して、私たちを成長させてくださるのです。また、夫婦が一体であるように、キリストと教会も一体となっているのです。これは奥義ですね。私たちには、十分理解できないことでしょう。これを、キリストによる和解ということができます。人には罪があって、神から離れています。しかしキリストによってその罪は取り除かれ、神様の和解し神との平和を持つことができるようになったのです。教会の交わりの基本は、お互いの和解であり、赦しあいです。そのような仲間のいるところです。
 このように、キリストと教会は素晴らしい間柄なのですが、地上の教会にはいろいろな欠点や弱さがあり、赦し合うどころか時に敵対することもあるでしょう。しかしキリストが教会を愛してご自身をささげられたのは、不完全な教会がやがて聖く傷のない栄光の教会とされるためなのです。主イエス様が再び来られる時、教会も完成するのです。その日を待ち望みながら、イエスキリストをかしらとした地上の教会での営みを、大切にしてまいりましょう。

時がついに満ちて、実現します。いっさいのものがキリストにあって、天にあるもの地にあるものがこの方にあって、一つに集められるのです。エペソ1:10


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