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2015年4月 5日 (日)

再びお会いできる日  マルコ16:1-8  2015.4.5

 イエス様の復活祭、おめでとうございます。この復活祭の日取りは、325年に行われた第1回ニケーア教会会議で決められたそうです。内容は、「春分の次の満月の後の最初の日曜日を、復活祭とする」というものです。今年でいえば、昨日4日土曜日が、春分の日を過ぎた最初の満月の日でしたね。
 イエ
ス様が十字架にかけられ、岩を横にくりぬいた墓に葬られる様子を見ていた女性たちは、ご遺体に香油を塗ろうとして、朝早く墓に出掛けました。墓についてみると、すでに入り口をふさいであった大きな石は取り除かれ、中にイエス様のご遺体はなく、白い衣を着た青年が座っていたというのです。彼は、神様から遣わされた主の天使でした。彼は女性たちに、「イエスはここにはいない、よみがえられた」と告げました。そして、イエス様の言葉として、イエスは弟子たちより先にガリラヤに行く、そこでお会いできると、ペテロや他の弟子たちに告げるよう命じたのでした。彼女たちはこの出来事にすっかり動転してし恐れてしまい、そこから保々の態で逃げ出してしまったのです。愛する者との別離は、大きな悲しみです。別離は私たちの心に、痛みや苦しみを与えることを、この出来事は伝えています。
 み使いは、十字架に付けられたイエス様が蘇り、再びお会いできることを告げたのです。これは素晴らしいことであり、希望を与える言葉です。しかしこの時、彼女たちはそれを理解できなった。主を信じる信仰の目が、まだ開かれていなかったのです。現代に生きる私たちにも、恐れや不安があります。やがて訪れる、自分の死とも向かい合わなくてはなりません。苦しみの場から、逃げ出したくなります。しかし十字架につけられた主は、よみがえられ、私たちの復活の初穂となられました。愛する者との再会が、ここに確かなものとされたのです。
 復活祭の日取りのもととなった春分の日は、日本では、春の彼岸と呼んでいます。先祖の墓参りをするのが通例となっています。私たちの教会では、復活祭の次の日曜日の午後、天に召された方を偲んで、礼拝をささげます。キリスト者のお彼岸のようなものです。先に召された方と再びお会いできる日を待ち望みつつ、新しい希望を持って生きる日となるのです。
 ペテロや弟子たちは、イエス様を見捨てて逃げてしまいました。自分たちの人生は、イエス様の死と共に終わったと考えたのです。しかしガリラヤで主イエス様と出会った弟子たちは、新しくされ、そこから彼らの人生を再スタートさせたのです。文字通り、敗者復活戦を始めることができたのです。私たちも、心のガリラヤで主と出会い、復活の主とともなる生涯を、送っていきたいものです。

  主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。ローマ4:25

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