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2015年5月 3日 (日)

キリストにあって一つ 1コリント1:10-17  2015.5.3

教会とは、イエス様を救い主と信じ、救われた人たちの集まりです。
 エルサレムで生まれた教会は、それからおよそ2000年の時の流れの中で、様々な形でその営みを続けています。建物がなくても、厳しい迫害の中でも、イエス様を礼拝し、ともに交わりを持っている人たちもあるのです。教会は神様が生み出してくださったものなので、キリストにあって一つなのです。具体的には、イエス様の教えてくださった主の祈りを祈り、使徒信条にある信仰を告白していることによって、一つであることを知ることができます。
 しかし、教会を構成しているのは信者ですが、完全な人であるというわけではありません。いろいろな問題を抱えているのです。コリント教会の問題でまずパウロが指摘しているのは、ペテロやアポロなど個人を霊的な指導者と仰ぐ人たちが作るグループ間の争い、すなわち、分派や対立の問題でした。コリントの教会には、パウロを支持する人たちもいたようです。しかしパウロはあえて自分が洗礼を授けたのは本当にわずかな人達であって、指導者うんぬんで争うのではなく、お互いに一致してくれることを願っています。
 教会が一つであるということのイメージは、まず体を思い浮かべると良いでしょう。一つの体を切り刻むようにして分けることができないように、キリストも分けることができないのです。また教会が一つであるとは、羊飼いによって導かれる羊の群れが一つにまとまっているイメージにもたとえられます。旧約の時代から、神様は羊飼いであり、人々はその牧場の羊だったのです。そして何よりも、私たちの信じる神様が、3つの人格(ペルソナ)を持ちながらも、互いに調和した交わりを持っており、お一人であるということです。神様のイメージは、教会が一つであることを良く表しているといえないでしょうか。これはまさに神秘ですね。人の考えでは、及びもつかないことでしょう。
 目に見える教会には、仲たがいをしてしまうようなことが起きるでしょう。気の合わない人も、いるかもしれません。しかし教会はもともと一つであること、そしてキリストの平和を求めるために一つとされていることを、心に留めていただきたいのです。

謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。エペソ4:2,3


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