フォト
無料ブログはココログ

« 十字架のことば  1コリント1:16-25  2015.5.17 | トップページ | 神のみこころを悟る 1コリント2:6-16 2015.5.31 »

2015年5月24日 (日)

キリストとこの街にある教会 使徒2:37-47 2015.5.24

本日は、聖霊降臨日、教会が誕生したことを記念する日です。その様子は、使徒1-2章に書かれています。
 イエス様が復活され、それから50日目の五旬節の祭の時、主が語られた通りに祈っていた弟子たちに聖霊が降り、彼らはいろいろな国のことばで語りだしました。たぶん、神様を賛美し主のことばを語ったのでしょう。祭りのために来ていた人たちは一様に驚き、怪しみました。しかし彼らは、ペテロの語った言葉に心を差され、悔い改めて洗礼を受け、彼らもイエス様を信じる者となったのです。ここには教会と言う言葉は使われていませんが、イエス様を信じる者の集まりである教会が誕生したのです。
 この教会の様子は、41節から47節に記されています。私たちの教会では、ここから7つのポイントでキリスト者生活の秘訣として学んでいます。それは、
①救いの確信は聖書にあること、②信じた人たちは信仰の告白としての水の洗礼を受けたこと、③教会の交わりに加えられたキリストの弟子としての生活を始めたこと、その人たちは④聖書を学び、⑤祈りをしていたこと、⑥そして財産をささげてお互いに助け合い、このようなことを通して⑦神様が日々救われる人を起こしてくださったことです。このことは、今の私たちの個人生活や、教会にも当てはまることです。
 ペテロは、「この曲がった時代から救われなさい」と言いました。今日では、その曲がり方はひどいものがあると思います。神様の造られた人としての尊厳が傷つけられ、まことの神様を第一とする道から、大きくずれているのではないでしょうか。聖書の示す罪とは的外れであるという意味からすれば、まさに今もなお私たちは曲がってしまい、罪の中にあるといえます。
 このエルサレムに生まれた教会の姿を一言でいえば、キリストと教会に根差した教会であるということです。聖霊によって導かれた教会は、キリストに根差してそのいのちをいただくのです。また教会は、その置かれた街や地域から遊離したり、無関係でいることはできません。神に仕えるとは、実際にはその町の人たちの隣人となり、力になるということです。キリスト者個人の生活も同様です。信じただけで、街や職場の人たちと何のかかわり持たず、ただ教会に集っているだけでは、健全な姿とは言えません。
 人は誕生日を迎えると自らの人生を省みて新しい歩みをするように、教会の誕生日ともいえるこの日に、復活の証人としての新しい歩みを進めたいと思うのです。

こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤの全地にわたり築き上げられて平安を保ち、主を恐れかしこみ、聖霊に励まされて前進し続けたので、信者の数がふえて行った。使徒9:31


« 十字架のことば  1コリント1:16-25  2015.5.17 | トップページ | 神のみこころを悟る 1コリント2:6-16 2015.5.31 »

礼拝メッセージ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: キリストとこの街にある教会 使徒2:37-47 2015.5.24:

« 十字架のことば  1コリント1:16-25  2015.5.17 | トップページ | 神のみこころを悟る 1コリント2:6-16 2015.5.31 »