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2015年6月20日 (土)

神の奥義の管理人 1コリント4:1-5 2015.6.21

 本日は、父の日です。家庭に両親がいる場合、父親がその家庭を経済的も精神的に支えるのが、普通の姿だと思います。そこには、神様の造られた家庭の秩序が、反映されています。
 パウロは自分のような使徒たちを、キリストのしもべ、神の奥義の管理人であると言っています。しかしこれは、全てのキリスト者に言えることです。ここで使われているしもべとという言葉は、元々船底で奴隷としてオールを漕いでいる人たちのことで、そこから奉仕一般を指す言葉となりました。また、管理人とは、大きな農園の管理を任されている人のことを表すそうで、ある物の管理をオーナーからゆだねられた人を意味します。
 天地創造の時、神様はご自分の造られた世界、すなわち被造物の世界の管理を、人間にゆだねました。


  神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」(創世記1:28)


人は生き物に名前をつけますが、それも被造物の管理を任されたことの表れです。
 管理人は、オーナーに対して忠実でなくてはなりません。実際の仕事は部下やしもべに任せたとしても、管理していることに関しては、責任を持っています。しかし罪を犯した人間は、この管理を正しく行うことができなくなりました。人間の欲望の都合のいいように自然を支配するようになったため、おかしなことが生じてきました。それが自然界のうめきです。時に、自然災害として人間に襲い掛かってきます。


そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。(ローマ8:23)


 この被造物の苦しみが解消されるのは、人として来られたイエスキリストの十字架と復活という、人々の贖いのためのみわざです。福音とは、イエス様を信じて天国に行けるようという喜びのたよりです。天国に入れる日をただ待っているだけでは、神の奥義の管理人とは言えません。神の奥義は福音のことであり、それはそれぞれの国や地域の歴史の中に表される神の御業、また各教会の教えとして花開いていく、豊かな世界です。神様の造られた自然の秩序を破壊するのではなく、共に生きること、また、それぞれの国や地域にある文化や歴史を大切にしつつくらすことが、忠実な管理人の務めです。そして神様の御心を行うことが、しもべの姿です。
 忠実な管理人でなくなってしまった私たちは、ここで悔い改め、まことの父である神様に立ち返って、忠実な管理人にならなくてはいけません。
 かつて、大勢の群集がお腹を空かせていたとき、イエス様は五つのパンと二匹の魚を祝福して分け、彼らの空腹を満たしました。イエス様こそが、命のパンであることを表す奇跡だったのです。パンと魚を差し出す少年がいたので、このような奇跡が起きたのです。私たちが管理人として預けられているものを主イエス様に差し出す時、神様はその信仰を祝福し、ご自身の栄光のために用いてくださるのです。


 それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。(1ペテロ4:10)

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