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2015年6月 7日 (日)

賢い建築家のように 1コリント3:10-17  2015.6.7

   天幕造りをしながら伝道していたパウロは、教会を建物に例え、かしこい建築家のように伝道してきたと語っています。ちゃんとした建物が出来上がるためには、確かに賢い建築家が必要です。今日の日本では、資格を持った建築士が設計図を引き、工事の管理監督を持つことになっています。
 建築において土台をしっかりと据えることが大切であることは、いうまでもありません。教会の建設や、私たちの人生にとっても大切なことでしょう。教会の土台は、イエスをキリストと告白する信仰です。
「ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」(マタイ16:18) 
 またイエス様は山上の説教のまとめで、愚かな人と賢い人のたとえ話を通して、人生の土台の大切さを語りました。
「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。」(マタイ7:24,25)と言われた通りです。
 そしてキリスト者生活の土台は、デボーションを守ることによって、確かなものとされていくのです。
 土台の上に建てるのが建築物の本体ですが、どのような材料を使うのかということが、重要です。ここでは、建てられたものが火によって試される日が来るとあります。神様の試み、テストを受けても、朽ちないものであるかどうかがポイントです。確かに木や草や藁は燃えてしまいますが、日本文化の中にあっては、建築の材料としては悪くありません。むしろ、金銀宝石や石よりも、いい感じがします。ここでのポイントは、教会や私たちの人生が、神様の前におぼえられるものであるかどうか、ということです。北海道新幹線の開通に伴って、そこで働いてきた人を紹介する番組がありました。その中で青函トンネルの工事にかかわった方の「地図に残る仕事をしたかった」と言われた言葉が、印象的でした。神様の前に残る教会、そして自分の人生でありたいですね。
 パウロはここで、キリスト者そのものが、神殿であると言っています。神殿は、神のいるところを象徴しています。私たちのからだは、聖霊の宮であり、神様が住んでいていくださる所といえます。
「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」(1コリント6:19)
 それゆえ、私たちの生身のからだをもって、神様の栄光を表す行動、言葉を使うのです。
 最後に、確かに建築家が必要ですが、その人たちだけでは建物は建ちません。現場で働く人たちがいなければ、図面上の建物に終わってしまいます。いろいろな技術を持った人たちが、それぞれの働きを秩序だってすることによって、建造物が完成します。教会も、それを構成する全ての信者が賜物のはかりに応じて奉仕することによって、建てあげられていくのです。
 あなたが教会にいるのは、その働きをになう素晴らしい機会がそこにあるからです。

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