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2015年7月25日 (土)

きよいパン種 1コリント4:6-13  2015.7.26

2カ月ほど前、秋田から来られた姉妹は、天然酵母でパンを焼き、ネットで販売しているというお話を伺いました。また聖餐式で使うパンは、特別に焼き上げるということも伺い、神様の前に最高のものをささげようという彼女の姿勢に共感しました。
 コリントの教会にあった大きな問題の一つが、不品行でした(5:1)。ポルノの語源になったポルネイヤという言葉が使われています。この町の不道徳が教会にも入り込んでおり、パウロによれば異邦人の中にもないほどひどいものだったいうことです。そのようなことを平気でしている人たちを教会は取り除くこともせず、かえって誇り高ぶっていることを憂え、そして非難しています。
 この文脈で用いられている比喩が、パン種です。この時代は、パンの一部の生地を種として残し、それを次の仕込みに使うという製法でした。今日では、パン種(イースト)にもいろいろな種類があり、それぞれの種の味を生かしたパンが作られているということです。聖書の中でパン種は、良い意味でも、悪い意味でも比喩として使われています。良い意味では、神の国のように命あるものは成長すると語っています(マタイ13:33)。悪い意味では、パリサイ人にように不正や偽善のパン種に気をつけるようにと言われています(マタイ16:6)
 コリントの教会の人たちには、不品行や高慢という悪いパン種を除くことを命じています。今日では、教会の戒規と言います。その昔、イスラエルの民はエジプトを脱出する時、パン種を入れないでパンを焼き、それを食料として持っていきました。パン種を入れて発酵させる時間がなかったからです。その時以来、過ぎ越しの食事では、パン種を入れないパンが焼かれ、今日の聖餐式でもそのようなパンを使っている教会もあることでしょう。「古いパン種を除け」とは、純粋なパン、来よい交わりの教会を表す表現です。
 このようなパン種が除かれた後、何を入れればいいのでしょうか。何を拠り所として自らをきよめ、純粋な交わりを持てばいいのでしょうか。7節にヒントがあります。

「あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過ぎ越しの小羊キリストが、すでにほふられたからです。」

イエスキリストが十字架で死んでくださり、私たちのためにきよいパン種となってくださったのです。神様の前に、私たち一人一人が、また教会が神様の前に正しい歩みをするために、きよいパン種であるイエス様によって成長させていただきましょう。


 

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