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2015年10月18日 (日)

福音の恵みを受ける 1コリント9:19-23 2015.10.18

偶像に備えた肉を食べてよいのか悪いのか、という問題を受けたパウロは、直接その問題に答えるだけでなく、話を展開させていきます。
 パウロの宣教は、一つの民族やある地域に限られることなく、文字通り世界大に広まっていきました。彼は生粋のユダヤ人であり、エルサレムで非常に高い学問を身に着けました。宗教的にはパリサイ派に属し、律法をしっかり守る生活をしていたのです。キリスト者を苦しめることにおいても熱心であり、何事も中途半端なことができない人だったと思われます。文字通り熱心な、タフな人だったのです。彼の生まれは、当時の交通の要所の一つであったタルソであり、子供のころから世界を見て育ったのだと思います。
 しかしダマスコ途上で復活のキリストに出会ってから、彼の人生は変えられました。元々自由人でしたが、キリストの奴隷としての生涯を送ったのです。すなわち、彼の人生の主人はイエスキリストになったのです。そしてこのキリストの福音を宣べ伝えることが、最も大切なミッションとなりました。そのために自分は召されたと、確信したことでしょう。
 福音を宣べ伝えるために、ユダヤ人にはユダヤ人のようになり、律法を持たない人には、そのような人として接しました。元々パウロはユダヤ人だったのですから、ユダヤ人のようになるというのはおかしな表現ですが、まず同胞に福音を伝えようという思いの表れでしょう。日本人キリスト者であっても、日本人になり切れていないことがありますね。
 そしてもう一言、弱い人には弱い人々には弱いものになりました、と言っています。ここでいう弱さとは、文脈によれば信仰の弱い人のことです。キリストとの結びつきをちょっとしたことで失い、教会の交わりから去っていってしまいそうな人たちのことです。解釈を広げて、肉体的知的な弱さを持っている人、社会や家庭にあっていろいろな苦しみをもって弱っている人、と取ることもできるでしょう。パウロは、弱い人になったというのです。元々パウロは強い人であったはずです。しかしそんな彼も、弱さを感じていたのです。
 信仰の強い人は、信仰の後輩をつまずかせたりさばいてしまうことがあります。弱い人の振舞に、我慢ができないのでしょうね。それは、弱い人を教会の交わりから去らせてしまうことになりかねません。パウロは、自分も神様の恵みによって救われたものであることを、いつも覚えていました。決して強い人ではないのです。むしろ、弱さのうちにこそ神様の恵みがあるのです。

2コリント13:4  確かに、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられます。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対する神の力のゆえに、キリストとともに生きているのです。


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