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2015年10月 4日 (日)

一人の救いのために 1コリント9:19-23 2015.10.4

 

 初代教会の牧師、伝道者ともいえるパウロは、自分の権利を主張せず、また自らをスポーツ選手のように霊的に鍛え、福音のために生涯をささげた人でした。それは、幾人かでも罪の中から救い出すためでした。もちろん彼の力ですくのではなく、イエスキリストの福音を宣べ伝え、イエスキリストの十字架の御業によって罪の赦しを受けるということです。これは、イエス様がご自分を捨ててむなしくなり、神様に従い、すべての人の救いのために十字架の道を歩まれたことに倣っています。
「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」(ピリピ2:68)
 私たちは、どうでしょうか。そのような生涯を送りたいものです。
 日本人初の海外宣教師といえる乗松雅休は、朝鮮伝道に生涯をささげた人でした。彼のことはあまり知られていませんが、日本が帝国主義的力をもって朝鮮半島を治めようとし、キリスト者であっても日本人のように生活することを求められた時代にあって、その国や町や村にいる人となって伝道した人でした。1919年に起きた「31独立運動」という国家的な事件に巻き込まれながら、最後まで宣教の思いは変わりませんでした。1921年、乗松は59歳の生涯を閉じます。朝鮮から葬儀に駆けつけた金テヒはこう言いました。「イエスキリストは神様であるのに人とおなりなされた。この愛に励まされて、乗松兄は朝鮮の人を愛しました。世の中に英国人になりたい人沢山あります。米国人になりたい人、たくさんあります。けれども乗松兄は、朝鮮の人になりました。・・・」
 すぐ近くの一人の人の救いのために、キリストは死んでくださったのです。私たちはその人のために、何ができるでしょうか。


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