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2015年10月11日 (日)

イエスのめざしたゴール 2015.10.11 ルカ9:51-62

本日は野外礼拝、運動会の日です。明日は体育の日ということで、健康と地域の方々との交流のために、いろいろなイベントが開かれることでしょう。
 体操は体のトレーニングのことですが、それと同じように霊操というのは、心や魂のトレーニングを指す言葉です。主イエスとの深い例の交わりを目標としています。
 そのイエス様の地上でのゴールは、エルサレムに上ることでした。ご自分の最期が近づいていることを知って、その顔は毅然としてエルサレムに向いていたのです。だれでも、自分の生涯の最期を悟ると、もはや無駄なことはせず、美しい最後を迎えるために精一杯のことをすることでしょう。イエス様の最期は、贖いの小羊として十字架でその命をささげることでした。エルサレム途上でサマリヤの街に入られたのですが、人々はこれを受け入れなかったというのです。泊まる所を提供しなかったのでしょうか、すぐにこの街から立ち去るように言われたのでしょうか。
 この言葉は、象徴的です。このブログにアップしたように、日本ではキリスト教は邪教とされ、宣教師や信者はお尋ね者として見つけたらご褒美がいただける、という時代があったのです。いわゆるキリシタン禁制の時代が続き、それが今日の日本人にも、理屈抜きにキリスト教を嫌う思いを心の中に深く形成したのだと思います。
 イエスを拒絶した街の人たちに、弟子たちは腹を立て「彼らを焼き滅ぼしましょうか!」とさえ言ったのです。しかしイエスはそんな彼らを戒められ、エルサレムへの道を進んでいったのです。
 エルサレムは、やがて私たちが入る神の国、天の御国の象徴です。イエスのめざしたゴールは、そのまま私たちのゴールとなります。そのゴールをめざして、人々に拒絶されたり、苦しみを受けたとしても、その道を進んでいきましょう。主イエス様の姿に、倣うものでありたいのです。目標であるイエス様は同伴者としてともにいてくださる方でもあり、選手を応援する人たちがいるように、私たちの歩みを励ます主にある兄弟姉妹がいるのです。

ヘブル12:1-2

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。


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