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2015年11月 1日 (日)

主の食卓にあずかる 1コリント10:13-22  2015.11.1 

偶像に備えた肉をどうしたらよいかという問題に対して、パウロはまず、真の神は唯一なのだから、偶像に備えた肉を食べようが食べまいが構うことはないと語ります。しかしながら、信仰の弱い人への配慮のために食べないこともできるとも言いました。そしてついには、偶像礼拝を避けなさいと、主なる神に仕える信仰を明確に示すのでした。
 一般に、食事は単に空腹を満たしたり、健康を支えるためにだけあるのではなりません。ともに食事をした人たちとの交わりがあります。また、すでになくなった人のことを思い起こして食事をすることは、個人と心において交わることになるともいえるでしょう。このようなことから、偶像にささげた肉を食することは、悪霊と交わることになる、また、自分は真の神以外のものに礼拝することはないのだから偶像に備えた肉にささげた肉を食べても大丈夫である、と言っている人たちに、鋭い警告を与える言葉となっています。
 主イエス様は、弟子たちと過ごした最後の過ぎ越しの職の席で、パンと盃を取って、新しい戒めを与えました。
「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」ヨハネ1334
 このことは、聖餐式として、あるいはミサとして、キリスト教2000年の歴史の中で今日まで守られてきました。これからも、主イエスの来臨の時まで、続くことでしょう。聖餐式、すなわち主の食卓にあずかることは、まずイエスキリストとの交わりを持つことであり、兄弟姉妹とも新しい愛による交わりを持つことの表現です。その中心は、み言葉です。聖書に基づいた主にあるこのような交わりが、私たちを祝福し、イエスと伴る歩みへの導くのです。
 「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」ガラテヤ5:13


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