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2015年11月22日 (日)

信じ、行なう  ヨハネ9:35-41  2015.11.22

 

「信仰」と「行ない」は、時々対立するもの、対極にあるものととらえられることがあります。しかしこの両者は、切り離すことができません。信仰と生活を戸()で仕切ってはならないのです。信仰生活、ですね。ヨハネの福音書には、奇跡としてしてのしるしが、イエスの復活以外に7つ描かれています。ヨハネの福音書の目的に沿ってイエスの行ったこれらのことが書かれているのです。その目的は、はっきりしています。
「私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。」(ヨハネ20:31) 
 本日のテキストは、生まれつきの盲人をイエスが癒したという物語です。パリサイ人から尋問を受けたこの元盲人は、自分の目を開けてくれたのは誰だかわからないが、偉大な方であろう、そして今自分が見えることは紛れもない事実なのだと言います。パリサイ人達は彼の親にも問いただすのですが、結局彼を外に追い出してしまいます。親にも同胞にも見放されたこの男に声を掛けたのが、イエス様でした。この時彼は「はい主よ、信じます」と信仰を告白するのです。これがこの物語のクライマックスです。信じることのの方が、何かをすることより大切なことと思わせる出来事です。
 しかしヨハネの福音書を読んでいくと、イエス様は信じる者にアクションを取ることを求めていることがわかります。特に13章にある洗足の場面、先生であるイエス様が弟子たちの足を洗う場面は、弟子たちに対して明確に行動することを命じています。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。」(ヨハネ13:15) 
 私たちの行動の力は、自分は神様に愛されている、大切な存在である感じるところから来ます。そして自分をある人や事柄に明け渡す時、行動が生まれます。
 NHKの朝ドラ「あさが来た」のヒロインのモデルは、広岡浅子という人物です。彼女は大きな病を負うのですが癒され、60歳を過ぎて洗礼を受けます。現在の東京女子大の設立に協力した浅子は、クリスチャンになってからますます女子の地位向上と教育に努めたのでした。神や人に愛されていることが自信となり、自分のことよりも他の人、特にあの時代の女性たちに自らを明け渡した結果の行動でした。私たちも自らに与えられた信仰を生かす行いを、全うしていきたいものです。
 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ2:8-10)


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