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2015年12月13日 (日)

平和の道  ルカ1:67-80  2015年12月13日

 

待降節の、第3主日を迎えました。 来週は各会堂で降誕祭礼拝がささげられ、24日のイブには燭火礼拝(キャンドルライトサービス)25日は静かな降誕祭と続きます。 

 クリスマスのイメージは、「きよしこの夜」の讃美歌にあるように、光と静けさ、そして平和ではないかと思います。戦争中であっても、クリスマスの時はお互いに戦うことをやめたという話も伝わっています。ところが、イエス様が生まれた時代と場所は、ユダヤ人にとっては争い事の絶えない時であり、地域であったのです。しかも預言者を通して神様の言葉が語られない時代が、400年余りも続いていました。まさに暁闇の中で、イエスはお生まれになったのです。クリスマスの日取りが、昼間が最も短くなる冬至をもとにして決められたというのは、意味のあることだと思います。その日からは、昼間の時間が伸びてくるわけで、義の太陽であるイエスを迎えるにふさわしい日取りといえるでしょう。
 本日のテキストは、後にイエスに水の洗礼を施すことになるバプテスマのヨハネが生まれ、八日目に割礼を施したときの物語です。ヨハネ誕生の告知を受けながらも不信仰に陥り、口のきけなくなっていた祭司ザカリヤの口が、聖霊の促しのままに神を賛美して預言した箇所です。ザカリヤの賛歌、「ベネディクトウス」と言われています。神様がイスラエルの民を顧み、救い主誕生の前にその道備えをするものが生まれること、彼は罪の悔い改めを人々に説く者であることを歌っています。また、人々を平和の道に導くために、日の出の太陽のように救いの御子が現れることを預言したのです。
 今年日本は、戦後70年目の年でした。戦争体験が語られ、平和を求める番組や取り組みも多かったと思います。国会前では平和を求める人たちの声が、これまでになかったほど高く上げられました。しかし平和を求める願いとは反対に、米軍基地を70パーセント以上抱える沖縄の苦しみがあり、日常生活の中で突然起きる無差別の破壊に震撼させられています。 平和の道は、もう閉ざされてしまったのでしょうか。
 イエス様は、平和のために祈りなさい、平和を作る者となりなさい、と言われました。私たちにとって、祈りこそ平和への道をもたらすものなのです。時に、祈っているだけでも行動しなくては意味がない、と批判されます。イエス様の言われた祈りとは、イエスとの深い交わりであり、父なる神のみこころを行うことなのです。人()の中に恐怖心があると、争いが起こります。自分(自国)を守ろうとして、他の人()をやっつけようとする行動に出るからです。恐れを取り除くのは、イエスのことばであり、祈りのうちに与えられるものです。主のご降誕を待ち望む中で、まことの光と平安をいただき、平和の道を歩む者とされたいものです。
「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14:27)

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