フォト
無料ブログはココログ

« 助けがある | トップページ | 多くの器官、一つのからだ 1コリント12:12-27 2016.1.31 »

2016年1月24日 (日)

聖霊の賜物  1コリント:1-11  2016.1.24

 人には、それぞれ「才能」と言われるものがあります。それは、他の人より優れた技能であったり、自分のできる得意なことであったりします。ところが、私にはそのようなものはない、何の才能もないとりえのない人間なんです、という方があるかもしれません。
 しかし聖書には、神様は一人一人に良いものを与えている、それが聖霊の賜物であると言っているのです。英語では、ギフトということです。本日の箇所のほかに、ローマ人への手紙12章、エペソ人への手紙4章には賜物のリストがあります。賜物と似ているもので、神様が目に見える形で表してくださっているのが、「実」というもので、ガラテヤ人への手紙5章にあるリストが有名です。
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制であり…」と書かれています。
 聖霊の賜物は、生まれ持った才能とは必ずしも同じではありません。他の人より優れているということでも無い、といった場合があります。賜物は聖書に書いてあること以外にもあり、実に多様なのです。しかし乍らこの賜物を与えてくださる神様はお一人であり、同一の聖霊による賜物なのです。このことは、身体のたとえをもって、語られていきます。いろいろな器官があっても、一つの体を構成しています。それと同様に、お互いが違う賜物を持っていても、神様の教会の一員として同じである、一つであることを示しているのです。多様性と同一性が、調和をもって存在しているといえるでしょう。
 ここには、九つの賜物が書かれています。ご自分の聖書を開いて、確かめてみてください。ここで大切なことは、これらの賜物は「各々に与えられている」ということです。すべての人に与えられている、別のことばでいえば、だれでも賜物を持っているということです。大切なのは、それを生かすことが神様に期待されていることであり、私たちの人生のだいご味でもある、ということです。タラントやミナというお金の単位が表れるたとえ話は、そのことを教えているのです。人と比べて自分の賜物の優劣を競ったり、この賜物はすごいぞ!と言って、誇ることは間違っています。表れ方は、皆違うのです。自分の賜物を知り、それを生かすこと、そのことによって教会全体の徳が高められていく。
 パウロはコリントの教会の人に、そのような賜物の活用を願っていたのです。

「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。」1ペテロ4:10,11



« 助けがある | トップページ | 多くの器官、一つのからだ 1コリント12:12-27 2016.1.31 »

礼拝メッセージ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 聖霊の賜物  1コリント:1-11  2016.1.24:

« 助けがある | トップページ | 多くの器官、一つのからだ 1コリント12:12-27 2016.1.31 »