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2016年2月14日 (日)

主の歩まれた道行き へブル2:9-17 2016.2.14

 教会歴では、先週の水曜日を「灰の水曜日」といい、ここからレントという期間が始まります。6回の日曜日を除く復活祭までの日数は40日なのですが、この40という日数は、旧約聖書のモーセやエリヤ、そして新約聖書のイエスキリストが断食をした期間であり、象徴的な意味合いをもっています。
 信者にとってレントは、十字架にかけられた主イエスキリストの受難に思いをはせながら、一年のうちでもっとも厳粛な悔い改めと、克己精進が求められる大切な期間であり、また、求道者にとっては洗礼の準備をする時ともなっています。英語のレント(Lent)lentenの短縮形で、語源は日が長くなる季節、すなわち春の意味であり、春を待ちわびることを表す言葉ともいえます。イエスの生涯とその苦難に思いをはせながら、自らを省みて、深い祈りの時を持ち、節制によって手元に残ったお金を特別な献金(克己献金)としてささげ、教会や、その他助けの必要な人々のために用いることも行われます(八木谷涼子「キリスト教歳時記」より)
 イエス様のいかれた道行きは、神である方が人と同じ肉体を取って歩まれて、苦難の道行きでした。その道行きのゴールは、十字架に付けられるという、最も屈辱的で、神に呪われ見放された者としか思えないようなものだったのです。しかしこれこそ、主イエスにふさわしい歩みだったのです。人の目にはそのように見えないのですが、ここに神秘があります。神にふさわしくないと思われる歩みのうちに、人を罪から救い、死の恐怖から解放する力が秘められていたのです。そしてイエスを信じる者はこの救いにあずかり、教会に加えられ、神の子供としての新しい人生が始まるのです。十字架の先には、復活があるからです。キリストの道行きをたどる歩みが、始まったのです。
 先週212日、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王とロシア正教会のキリル総主教はキューバで初めて会談したという出来事がありました。フランシスコ法王はキリル総主教に会うなり「やっと(会えた)」と叫び、「われわれは兄弟だ」として抱擁を交わしたそうです。実に、1054年に東西の教会が分裂してから、ようやく和解への道に踏み出したのです。
 主の歩まれた道行きは、和解の道でもあるのです。私たちもまた、このレントの期間、自分と違う人と仲良くできる道を歩みたいものです。キリストは、その人のためにも死んでくださったのですから。
 主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。ローマ4:25

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