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2016年3月 6日 (日)

朽ちないものへ  1コリント15:50-58  2016.3.6

90:2-4 山々が生まれる前から、あなたが地と世界とを生み出す前から、まことに、とこしえからとこしえまであなたは神です。あなたは人をちりに帰らせて言われます。「人の子らよ、帰れ。」まことに、あなたの目には、千年も、きのうのように過ぎ去り、夜回りのひとときのようです。
 これは、神の人モーセの祈りとされている、旧約聖書の言葉です。葬儀の最後である骨上げの時に、人は死ぬとチリに帰るということを実感します。
 私の母は、20093月に召されました。享年87歳。認知症が進んで入院していたのですが、ついに点滴が入らず体はパンパンに膨れ、苦しそうにしておりました。いわゆる延命治療をやめて、身体につながれている管をすべて外す決断をいたしました。しかしそれからは腫れが引け、身体も楽になったせいか、表情も明るくなりました。それから数日後、私のそばで、本当に静かに息を引き取りました。朝目覚めた時の「おはよう」という言葉と、弟と介護している時に突然「ありがとう」と言った言葉が、最後のことばとなりました。火葬の後の骨上げでは、木の箱に骨を拾って入れました。関東では陶器の骨壺なのですが、実家のある上越地方では木の箱なのです。理由は、納骨の時に分かりました。実家の近くのお墓に葬ったのですが、墓石をどかし、その中に箱からざーっとお骨を流し込んだのです。もう骨箱はいらないのです。文字通り、チリに帰るのだなあと実感いたしました。それだけでなく、今度は新しいからだになって甦るのだと、深く思わされたのです。
 キリストを信じる者は、朽ちないからだによみがえります。十字架につけられ、墓に葬られたイエス様が初穂としてよみがえられたという歴史の事実に基づいています。福音の中心は、まさに復活なのです。
 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。(1コリント15:20)
 ドイツ語で初穂というのは、神から人に与えられたもの、また、傷のないきよいものを表すともいうことです。朽ちるからだが、朽ちないものに変えられるというのです。それであればこの地上での生活を、どのように過ごすかが問われてきます。死は、人の最後です。ジ・エンドです。とても悲しい出来事です。しかし本当に、終わりなのでしょうか。人は朽ち果てて、それでおしまいなのでしょうか。聖書は、そこからよみがえりがある、死は終わりではなく、新しいスタートであると告げるのです。人は神様から与えられたきよい美しいからだに変えられるのです。それこそが渡したりの生ける希望となるのです。
 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。ローマ8:37


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