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2016年3月13日 (日)

語りつがれる物語 マルコ14:3-9 2016.3.13

本日の聖書箇所は、受難週に起きた物語の一つです。一人の女性がイエス様の頭に純粋で高価なナルドの香油を注いだ、という出来事です。
 この物語の面白さは、彼女のした行為を弟子たちは、もっともな理由をつけて非難するのですが、イエス様はその反対に彼女の行為をご自分に対して最もふさわしいことをしたとして「立派なことをした」と言われているところです。一つの同じ行為に対して、真逆の評価があったということです。
 いったいこれは、どういうことでしょうか。マルコの福音書によれば、イエス様はご自分が受ける苦しみと復活のことを、弟子たちに直接話されました。いわゆる、受難の告知です。それは3回なされましたが、いずれも弟子たちはイエス様の言われていることを理解することができませんでした。ペテロなどは、「そんなひどいことが起こりませんにように。」などと、イエス様をわきに呼んでいさめているのです。さすがに、「下がれ、サタン!」と逆に叱責され、何も言えなくなってしまうほどでした。弟子たちは、イエス様の身近に居乍ら、主の心を十分理解することができなかったのです。
 では、何が彼女に、イエス様の頭に香油を注ぐという行為をさせたのでしょうか?香油の注ぎは埋葬の用意である、と主は言われました(8)。遺体をきよめ、香油を塗ることによって葬りの準備をするのが、この当時の習慣でした。弟子たちは、イエス様の受難と最期の様子を聞いても、イエスの死をきちんととらえることができなかったのです。しかしこの女性は、イエスの死に共感し、共に苦しみ、悲しむことができたのです。そしてこれから死に赴くイエス様のために、最高のことをしようと決心したのです。たとい他の人から、そんなことをしてもどうせ死んでしまうのだから何の役に立つのか、といわれてもです。あなたの身近な人が死に瀕しているとき、あるいは看取りの時、何をするでしょうか。おい先の短いことがわかっていても、できる精いっぱいのことをしてあげようと思うのではないでしょうか。他の人から見れば、愚かなことのようでも、死を共感し精いっぱいのことをする、これは人の道にかなったことでもあるのです。
 イエス様の苦しみを、自分の苦しみと共感したとき、そこから素晴らしい愛のわざが生まれます。何よりもイエス様は、私たちの罪とその結果である死の苦しみを知って、自らその咎を負ってくださったのです。イエス様の物語こそ、これからも語りつがれる、愛の物語なのです。

いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。2コリント4:10


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