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2016年4月 3日 (日)

復活の証人 使徒23:1-11 2016.4.3

「殉教」とういう言葉は、 ギリシャ語でmartyria(英語ではmartyrdom、殉教者はmartyr)ですが、「証人」marturesという言葉に由来しています。殉教とみなされるためには、その死がその人の信仰を証していると同時に、人々の信仰を呼び起こすものであるかどうかということが基準とされているそうです。聖書に登場する初期の殉教者は、ステパノ(使徒7)とヤコブ(使徒12:2)でしょう。キリスト教会2000年の歴史の中で、日本も含め多くの人たちが信仰のゆえに命を落とし、殉教者となりました。長崎で処刑された26人のキリスト者や元和の大殉教で命を落としたキリスト者などのように、カトリック教会から殉教のゆえに聖人、あるいは福者と呼ばれている人たちもあります。

今のこの時代、そして日本では、かつてのように信仰のゆえに迫害を受けたり、街の晒し者になるということはありません。教会が焼き討ちされるということも、ほとんどありえないことでしょう。しかしながら、殉教は自分の命、そして死さえも神様におゆだねした信仰の姿であることを想う時、復活の証人として生きるよう召されているキリスト者にも、基本的に同じことが求められていると思うのです。信仰のゆえの苦難は、その時々の為政者によるところが大きいことは歴史が証明しています。しかしどのような時代であっても、私たちには日々の艱難辛苦があります。初代教会のキリスト者たちが聖霊に導かれ、主が再びおいでになることを待ち望んでいたように、今のこの時代にあって復活の証人としての心を持って過ごしていきたいと願うのです。そのような者に、主はともにいて慰めと励ましを与えてくださるのです。

「信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。」1テモテ6:12

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