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2016年4月24日 (日)

福音を宣べ伝える 使徒14:8-18 2016.1.24 

春風 吹いて 又生ず 
 この詩は白樂天の「唐詩三百首」に所収されている五言律詩の形の詩の一節です。「野火(やか)燒けども盡きず」に続く語で、「野原で枯草を燃やしても、その根は尽きることがなく、春風の吹くころにはまた芽を出してくる。」という意味で、春の命を感じる言葉ですね。
 これは禅語として詠まれているのですが、聖書の語る聖霊、神様の息吹を表す言葉ともいえます。ヨハネ3:8
「 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」とあるように、聖霊は人の思いではなく父なる神のみこころのままに自由に働かれ、罪ある人間を新しく生まれさせ、命あふれる生涯へと導いてくださるのです。使徒の働きは、この聖霊のお働きを表した初代教会の物語です。
 本日のテキストは、生まれながら足の不自由な人をパウロが癒したという奇跡から起こった、福音宣教の物語です。9節にあるこの人の中にある癒される信仰とは、パウロの話す言葉に耳を傾けていた姿に表れています。今日聖霊は、神様の言葉である聖書に聞く人たち、み言葉を信じる人にその力を表すのです。この奇跡を見た人たちは、パウロとバルナバを神々のように崇め、いけにえをささげようとしました。これを見た二人は、自分たちも人間であり、まことに崇めるべきお方はこの天地を造られた神お一人であることを語りました。神様は人間に無関心であるのではなく、悔い改めて神に立ち返ることを忍耐して待っておられることを告げ、そのためにイエスキリストが来られたことを語りました。イエス様こそ、人となれた神であったのです。パウロは言葉で語り、その証として足の不自由な人が癒されたというできごとがあったのです。文字通りの「福音宣教」でした。
 福音を伝えるということは、心の飢え渇いている人たちに、それを満たすいのちのことばを伝えることです。伝える側が枯れていると、そのようなことはできません。ですから、証し人はいつも主イエス様と交わり、み言葉を学び、聖霊の満たしをいただく必要があります。聖霊は、春の風のように渇いた人を潤し、新たな命に生かしてくださいます。福音を宣べ伝えるとは、このお働きを私たちがさせていただくことに他なりません。
 ピリピ1:18「つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。」


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