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2016年6月26日 (日)

何と呼ばれるか 使徒11:19-26 2016.6.26

エルサレムに教会が生まれ、そこから当時のローマ帝国内をはじめとして、イエスを信じる人たちの教会が建てられていきました。信じる人たちの群れができ、次第に今日のような教会堂や施設が造られていったのです。教会内においては、このような人たちは自らを、弟子、兄弟姉妹などと呼び合っていましたが、アンテオケという町で彼らは「キリスト者」と呼ばれるようになりました。外部の人からつけられたので、いわばあだ名のようなものでしょう。
 英語でいえばクリスチャンですね。その意味は、キリストに属する者、キリストに付く者というところでしょうか。ちなみに、春日部の街を愛してこの街の発展のために尽くす人を「かすかびあん」といいます。これは町おこしのための造語ですが、私もこの言葉を使って、街のために一役買っているつもりです。
 日本においては、1549年に福音が伝えられてから、キリストを信じる人たちは、キリシタンと呼ばれました。ポルトガル語のChristaに由来する語で、当て字としては幾利紫旦、吉利支丹などが使われました。禁制後は切死丹、鬼理死丹などと忌み嫌う宗教、邪宗としての呼び名となりました。徳川綱吉の治世には、吉を恐れ多いとして外し、切支丹と書かれるようになったと言われています。今では、キリスト教徒を指す言葉としては使われてはいません。隠れキリシタン、潜伏キリシタンなどと言う言葉は聞かれたことがあるでしょう。
 最初にキリスト者と呼ばれた場所は、ローマ帝国の第3の都市であり、紀元1世紀には,人口が50万ほどの国際都市となっていたアンテオケという町でした。バルナバとパウロがこの町に遣わされるのですが、彼らより先に福音を伝えたのは、迫害によって散らされた信者たちだったのです。困難の中にあってもキリストの弟子として福音を証しし、キリストにふさわしい生活を送っていたのです。それで彼らは外部の人たちから、キリスト者、クリスチャンと呼ばれたのでした。
 日本においてキリシタンと呼ばれた時代もまた、迫害の時代でした。他の国では類を見ないほど徹底した国家による人権侵害の出来事であり、キリシタン禁制の高札の撤去後は、町や村の共同体の中に信者を排除しようという力が働きました。キリスト者であることは恥であり、人数としてもマイナーな集まりだったのです。
 現代では、信教の自由が認められ、公にキリストを信じていることを表すことができます。しかしキリスト者の中には、どこか自分が信者であること恥じたり、引け目を感じているようなことはないでしょうか。キリスト者であることを隠している人もいるかもしれませんね。人はいつか死を迎えます。あの世において、イエス様は私たちのことを何とよんでくださるのでしょうか。キリストを恥じている者は、イエス様にとっても恥なのです(ルカ9:26)。しかし自分の務めを果たした者は、よくやった良い忠実なしもべだ、おまえは主人の喜びだ、と言われるのです(マタイ25:21)
 今この時代にいる時から、キリスト恥じない日々を送りたいと思います。
 ピリピ1:20「それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。」


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