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2016年6月 5日 (日)

何が見られるか ガラテヤ4:12-20 2016.6.5

ガラテヤの教会は、イエスを信じる人たちが新しくされ、喜びに満たされた交わりを持っていました。人の救いはただ神様の恵みの御業である、という福音を、皆が共有していたのです。しかしそこに偽りの教えが入り込み、また元の生活に戻ってしまう人たちが出たのです。このことを伝え聞いたパウロはこれを嘆き、彼らが再び喜びの生活を取り戻すことを願って書き送ったのが、ガラテヤ人への手紙です。
 詳訳聖書に、「あなた方は私のように〔ユダヤ人の儀式主義といろいろの行事規定の束縛から自由に〕なってください。なぜなら私もあなたがたのように〔ひとりの異邦人〕になっているからです。」とあるとおりです。
 ガラテヤの教会に、救われるためにはイエスを信じるだけでなく、ユダヤ人のように割礼を受けて、律法が定めたいろいろな決まりや、季節や月ごとに定められた行事を守らないといけないという教えが入り込んだのです。今日でも、クリスチャンとして立派に歩むために、あれをしなくてはいけない、これをしなくてはいけない、たとえば断食や徹夜をして熱心にお祈りして伝道しなくてはいけない、たくさん献金をしなくてはいけない、などという人たちがいます。ひょっとすると善意であっても、イエス様を信じた喜びを奪ってしまうようなことを先輩のクリスチャンが教えているかもしれません。パウロはそのようなガラテヤの人たちに、一人のひとりの信者と教会にキリストの姿が見られるように、再び産みの苦しみをしようとしているのです。単に嘆くだけでなく、彼らを見捨ててはいないのです。
 しかしこのようなことは、未信者に伝道するより多くの労苦があります。何よりも、信仰を捨ててしまった人たちがいること自体、私たちの悲しみであり痛みです。かつて日本では、厳しいキリスト教の禁教令が敷かれ、教会が迫害された時代がありました。転んだ宣教師(伴天連)を信仰に立ち返らせようと来日した宣教師たちは捕えられ、彼らも転んでしまったのです。遠藤周作氏の「沈黙」はこのような歴史を踏まえて書かれた小説です。
 キリストが見られるとは、どういうことでしょうか。自分の考えたキリストではなく、聖書の語るキリストが私たちの中にかたち造られていくこと、これが天国まで続く私たちの歩みです。イエスを信じた者は、すでに新しくされてキリストが生きておられるのです。
  私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているので はなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。ガラテヤ2:20
  あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。1コリント6:9,10


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