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2016年6月

2016年6月29日 (水)

江戸切支丹屋敷 その後

 今年4月に、切支丹屋敷跡から発見された3体の人骨のうち、中央に葬られていたのは最後の伴天連シドッチではないかという記事をアップした。その後屋敷の跡地を訪れ、関連書籍や資料を見るうちに、いろいろなことがわかってきた。3体の人骨が発見された場所も特定できた。そこは新たに建てられたマンションの北側の玄関にあたる。

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 最近クロドヴオ・タシナリ神父の著書「殉教者シドッティ」と、宮永孝氏の「東京キリシタン屋敷の遺跡」という小論を読んだ。そこにシドッチが最後に入れられという地下牢のことが掲載されていた。この屋敷にあった地下牢とは、地面に縦穴を掘り、そこから横に通路つけて、4~6個くらいの穴を掘っただけのものである。背の高かったシドッチは、ず~と腰を曲げたままでなければいられないほどのスペースであり、牢獄というよりもきつい折檻の場所である。そんな中に入れられてもなお、主に対する信仰を持ち、彼が導いた長助夫妻のために祈っていたシドッチ宣教師がいたのである。
 この地下牢の上に建てられた住宅の一つが、S氏宅である。 2冊の著作の中には、切支丹坂にあるこのS氏のお宅が、シドッチ記念館になっているとあった。今までもこのお宅の呼び鈴を押したことはあったがお留守であったので、ぜひともお話を伺ってみたいと思わされている。もう一二度、茗荷谷駅に降り立たなくてはいけないようである。
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 7月には、今回の発掘に伴う新しい資料が教育委員会から出されると思う。これもまた楽しみではある。

2016年6月27日 (月)

こんな近くに会席料理のお店が!

 今日のお昼は、真佐子の誕生祝いに、ご近所のお店でランチ。木の香りのする落ち着いたお部屋で、ゆったりと会席料理をいただきました。昨年の9月に完成したそうです。庵主は、娘の高校の先輩とわかり、お話しも楽しめました。お世話になった校長先生も、来庵されたとか。

 隣の茶室には、昨日の茶事の名残で床の間には掛け軸が。「一聲雷震清風起」とあり、今の季節を表していますね。庵主の許可を得て、画像をアップ。お店の名前は福楽(ふくら)、東岩槻駅北口からすぐです。デザートにお抹茶が出て、安心価格でいただけますよ。お料理のおいしいお店がありますが、こちらは最も近くにありますね。教会のHさんから知らされて、行ってみましたが、大正解でした。
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2016年6月26日 (日)

何と呼ばれるか 使徒11:19-26 2016.6.26

エルサレムに教会が生まれ、そこから当時のローマ帝国内をはじめとして、イエスを信じる人たちの教会が建てられていきました。信じる人たちの群れができ、次第に今日のような教会堂や施設が造られていったのです。教会内においては、このような人たちは自らを、弟子、兄弟姉妹などと呼び合っていましたが、アンテオケという町で彼らは「キリスト者」と呼ばれるようになりました。外部の人からつけられたので、いわばあだ名のようなものでしょう。
 英語でいえばクリスチャンですね。その意味は、キリストに属する者、キリストに付く者というところでしょうか。ちなみに、春日部の街を愛してこの街の発展のために尽くす人を「かすかびあん」といいます。これは町おこしのための造語ですが、私もこの言葉を使って、街のために一役買っているつもりです。
 日本においては、1549年に福音が伝えられてから、キリストを信じる人たちは、キリシタンと呼ばれました。ポルトガル語のChristaに由来する語で、当て字としては幾利紫旦、吉利支丹などが使われました。禁制後は切死丹、鬼理死丹などと忌み嫌う宗教、邪宗としての呼び名となりました。徳川綱吉の治世には、吉を恐れ多いとして外し、切支丹と書かれるようになったと言われています。今では、キリスト教徒を指す言葉としては使われてはいません。隠れキリシタン、潜伏キリシタンなどと言う言葉は聞かれたことがあるでしょう。
 最初にキリスト者と呼ばれた場所は、ローマ帝国の第3の都市であり、紀元1世紀には,人口が50万ほどの国際都市となっていたアンテオケという町でした。バルナバとパウロがこの町に遣わされるのですが、彼らより先に福音を伝えたのは、迫害によって散らされた信者たちだったのです。困難の中にあってもキリストの弟子として福音を証しし、キリストにふさわしい生活を送っていたのです。それで彼らは外部の人たちから、キリスト者、クリスチャンと呼ばれたのでした。
 日本においてキリシタンと呼ばれた時代もまた、迫害の時代でした。他の国では類を見ないほど徹底した国家による人権侵害の出来事であり、キリシタン禁制の高札の撤去後は、町や村の共同体の中に信者を排除しようという力が働きました。キリスト者であることは恥であり、人数としてもマイナーな集まりだったのです。
 現代では、信教の自由が認められ、公にキリストを信じていることを表すことができます。しかしキリスト者の中には、どこか自分が信者であること恥じたり、引け目を感じているようなことはないでしょうか。キリスト者であることを隠している人もいるかもしれませんね。人はいつか死を迎えます。あの世において、イエス様は私たちのことを何とよんでくださるのでしょうか。キリストを恥じている者は、イエス様にとっても恥なのです(ルカ9:26)。しかし自分の務めを果たした者は、よくやった良い忠実なしもべだ、おまえは主人の喜びだ、と言われるのです(マタイ25:21)
 今この時代にいる時から、キリスト恥じない日々を送りたいと思います。
 ピリピ1:20「それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。」


2016年6月 5日 (日)

何が見られるか ガラテヤ4:12-20 2016.6.5

ガラテヤの教会は、イエスを信じる人たちが新しくされ、喜びに満たされた交わりを持っていました。人の救いはただ神様の恵みの御業である、という福音を、皆が共有していたのです。しかしそこに偽りの教えが入り込み、また元の生活に戻ってしまう人たちが出たのです。このことを伝え聞いたパウロはこれを嘆き、彼らが再び喜びの生活を取り戻すことを願って書き送ったのが、ガラテヤ人への手紙です。
 詳訳聖書に、「あなた方は私のように〔ユダヤ人の儀式主義といろいろの行事規定の束縛から自由に〕なってください。なぜなら私もあなたがたのように〔ひとりの異邦人〕になっているからです。」とあるとおりです。
 ガラテヤの教会に、救われるためにはイエスを信じるだけでなく、ユダヤ人のように割礼を受けて、律法が定めたいろいろな決まりや、季節や月ごとに定められた行事を守らないといけないという教えが入り込んだのです。今日でも、クリスチャンとして立派に歩むために、あれをしなくてはいけない、これをしなくてはいけない、たとえば断食や徹夜をして熱心にお祈りして伝道しなくてはいけない、たくさん献金をしなくてはいけない、などという人たちがいます。ひょっとすると善意であっても、イエス様を信じた喜びを奪ってしまうようなことを先輩のクリスチャンが教えているかもしれません。パウロはそのようなガラテヤの人たちに、一人のひとりの信者と教会にキリストの姿が見られるように、再び産みの苦しみをしようとしているのです。単に嘆くだけでなく、彼らを見捨ててはいないのです。
 しかしこのようなことは、未信者に伝道するより多くの労苦があります。何よりも、信仰を捨ててしまった人たちがいること自体、私たちの悲しみであり痛みです。かつて日本では、厳しいキリスト教の禁教令が敷かれ、教会が迫害された時代がありました。転んだ宣教師(伴天連)を信仰に立ち返らせようと来日した宣教師たちは捕えられ、彼らも転んでしまったのです。遠藤周作氏の「沈黙」はこのような歴史を踏まえて書かれた小説です。
 キリストが見られるとは、どういうことでしょうか。自分の考えたキリストではなく、聖書の語るキリストが私たちの中にかたち造られていくこと、これが天国まで続く私たちの歩みです。イエスを信じた者は、すでに新しくされてキリストが生きておられるのです。
  私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているので はなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。ガラテヤ2:20
  あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。1コリント6:9,10


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