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2016年7月10日 (日)

愛するものへの手紙 1コリント16:13-24  2016.7.10

今年も一年の半分を過ぎ、7月になりました。年を取ったせいか、あっという間に半年過ぎてしまったという感じです。7月は文月とも言われます。その由来は、77日の七夕に詩歌を献じたり、書物を夜風に曝す風習があるからというのが定説とのことですが、諸説あるようです。
 聖書は一冊の本になっていますが、いろいろな読み物が集まったものです。新約聖書の後半は、黙示録を除いて書簡、すなわち、教会や個人にあてた手紙から成り立っています。文月に読むにはふさわしい箇所ですね。
 パウロがエペソからコリントにあてた手紙が、本日のテキストです。コリントは中央ギリシヤとペロポンネソス半島を結ぶ地峡の25キロ南にある都市で、西と東との海路の接続点、また北と南との陸路の接続点にあり、通商や交通の要路となっていました。全世界に福音を宣べ伝えよ、とのイエス様のご命令を果たすには、格好の場所だったのです。しかしこの街の教会には、分裂や分派、偽りの教えや不道徳が入り込み、パウロの心を苦しめていました。そんな教会を気遣って書かれたのが、この手紙です。
 様々な問題を取り扱った後、この16章は手紙を閉じるにあたって書かれたパウロのコリントの人たちを想う心が感じられる箇所です。献金の勧めは(1-3)、財政的な困難に陥っているエルサレム教会を助けるためでした。思いつきの献金ではなく、きちんと準備しているようにと勧めています。このことから、キリスト者たちは週の初めの日に集まるようになったことがわかります(2)。パウロは、コリントへの訪問を考えていました(4-9)。さっと通過するのではなく、腰を据えて滞在し、彼らとキリストを中心とした交わりを持ちたかったのでしょう。10節からは、働き人に対する配慮がかかれています。一人一人のことを取り上げることはできませんが、彼らを主の働き人として尊敬するよう勧められています。結びの挨拶では(19-24)、主イエスキリストが再び来られることを望みとして過ごすことをあらためて書いています。「主よ、来てください」という言葉はアラム語で、「マラナタ」と言います。初代教会から今日まで、キリスト者の合言葉として伝えられています。
 パウロが願っていたのは、「いっさいのことを愛をもって行いなさい」ということでした。愛するがゆえに、厳しいことばも書かねばなりませんでした。
パウロはその後、第3回伝道旅行の時にコリントに立ち寄り、ここでローマ人への手紙をしたためました。しかしコリントの教会は、1世紀末になっても、なお混迷していたようです。現代のコリントには立派な教会が建っていますが、パウロの伝道した地は遺跡となっています。

 しかしこの手紙が残っていることにより、パウロの教会を愛する愛を感じるのです。いろいろな方法で、人はその愛を伝えることができます。現代では、電話やメールがありますね。神様はご自身の愛を、イエスキリストによってあらわされました。イエス様の物語が記されている聖書こそ、神様からの愛の手紙なのです。

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。ここに神の愛が私たちに示されたのです。1ヨハネ4:9


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