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2016年7月17日 (日)

主よ来てください  1コリント16:13-24 2016.7.17

本日は中央会堂での説教です。

コリント人への手紙の結びは、「主よ、来てください」という言葉です。これはアラム語で、マラナタと言います。マラナは、私たちの主という意味で、タが来る、あるいは来てくださいという意味になります。
 旧約聖書には、ハレルヤ、アーメン、インマヌエルといった言葉があります。挨拶には、シャロームも使われたことでしょう。このマラナタは、主イエス様の復活と再臨の約束から生まれた言葉です。
 それゆえ、この言葉は初代教会の祈りともなりました。コリント人への手紙では、パウロが十字架につけられたイエスを宣べ伝えること、そのイエスは死んで墓に葬られよみがえられたこと、そして再びおいでになることを明らかにしています。主が再び来られることは、私たちが全く新しい人にされることの希望です。死の彼方に、新しい命があることの確信となるのです。
 主よ来てくださいというのは、私たちの普段の苦しみを取り去ってほしいとか、大きな問題を今すぐ解決してほしい、ということではありません。そのようなことも含みますが、なにより死の彼方にあることへの希望なのです。
「これらのことをあかしする方がこう言われる。『しかり。わたしはすぐに来る。』」アーメン。主イエスよ、来てください。黙示22:2
 主が再びおいでになることが、私たち人間だけでなく、この自然界、被造物世界の贖いにつながっていくのです。それゆえ、今の苦しみであっても、無意味なことはなく、無駄になることもないのです。パウロの書簡を閉じるにあたり、彼の語った言葉を、心に留めたいものです。
 1コリント15:58 ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。


 

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