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2016年8月 7日 (日)

平和を求めて へブル12:14-17 2016.8.7 

暑い8月がやってまいりました。私たちの国にとっては、先週6日は広島に原爆の投下された日、そして今週9日は、長崎に原爆が投下された日として、この出来事を思い起こし平和のために祈る日となっています。
 広島、長崎にはそれぞれの地で被爆され、世界の平和のために生涯をささげたよく知られた二人のキリスト者がいます。「にんげんをかえせ」という序文から始まる原爆詩集で知られた峠三吉は28歳で被害に合いました。洗礼を受けていましたが、戦後は共産党に入り、死と隣り合わせの中で多くの詩を残されました。長崎医科大学の教授であった永井隆は37歳で被爆し、カトリック信者として講演や著作を通して平和を訴えました。「長崎の鐘」は映画にもなった、心を打つ小説として知られています。 
 この二人に共通していたのは、原爆で亡くなった方々は、今日の平和が造られるための犠牲となった人たちではないか、その犠牲はイエスキリストの十字架の死にある、ということであると思います。戦没学徒の慰霊祭で、当時の東大総長であった南原繁も、学徒の死をイエスキリストの贖いの死に重ねるかのようにその死を悼んだのでした。
 考えてみれば、人が一人生きているのは、その人だけの力によるのではありません。長い人生を生きてきたのであれば、実に多くの人たちが犠牲になってその人を生かしてきたと言えるのではないでしょうか。少しオーバーな言い方かもしれませんね。しかしそのことを知れば、私たちは自ずと自分の命も、他の人の人生も大切にしようと思うのです。民族や宗教の違いによらず、すべての人は大切であることがわかるのです。
 イエスキリストの十字架の贖いのわざにこそ、和解の道があるのです。

その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。コロサイ1:20


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