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2016年8月

2016年8月21日 (日)

いのちの回復 アモス8:11-14 2016.8.21

黒人霊歌で、ドライボーンズという曲があります。旧約聖書の預言者エゼキエルが、ある谷間に乾ききった人骨がいっぱいに満ちている光景を見せられます。エゼキエルの預言に応えて骨たちをつなぎ合わせ、霊を吹き込んで人の集団に復活させる、という物語です。この霊歌は1950年代にデルタ・リズム・ボーイズという黒人のカルテットの歌が大ヒットし、日本ではデュークエイセスが歌っていたように思います。 
 この渇ききった骨を生かし、命を与えたのは神の霊であり、主の言葉でした(エゼキエル37:4,5)。神の霊と主の言葉は、同じものです。本日のテキストは、北王国イスラエルの預言者アモスの言葉です。紀元前722年ごろのことと言われています。この国の滅亡を預言し、その原因は神のことばを聞くことの飢饉、すなわち、王も民も神のことばの欠乏が国を亡ぼす原因であることを告げ、神のことばに立ち返るよう警告しているのです。
 私たちの国は、物質的には満ちています。戦後大きな復興を遂げ、2020年には再びオリンピックの開催ができるまでになりました。しかしその一方では「子供の貧困」があり、自死や他の人を傷つける悲惨な事件は終わることがありません。また、昔からある宗教団体や新興宗教団体の信者数が著しく減少し、現代の日本から宗教が消滅する、と言っている学者もあるほどです。それは人としての営みがなくなっていくことの、警告ともなっています。キリスト教会も例外ではありません。
 アモスの預言は、今の時代にも当てはまる神様からの警告です。人を生かす主のことば、イエスの言葉を聞かなくてはなりません。イエスは、ご自分の生涯の中でそのことばを語りました。嵐に遭遇した弟子たちに、そのことばを語りました。十字架につけられ、断末魔の苦しみの中で、そのことばを語りました。特に「父よ、彼らをお赦しください」と言う言葉は、憎み合っている人に和解という希望を与えてきました。そしてイエスの復活によって、主の言葉は私たちを生かすものとなったのです。 
 多くの物を持って富んでいるような私たちですが、実は神様のことばの飢饉であることに気づき、乾いた骨が生かされたように、神のことばによっていのちを再びいただきましょう。

キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。コロサイ3:16

2016年8月11日 (木)

記念会

 関東では、お盆ウイーク。お墓参りや、実家に帰って先祖を偲びつつ、家族との親睦を持つ時ですね。キリスト者も、召された方を思いながら、礼拝をささげます。今年も、坂路さんご夫妻の両親を偲び、ご自宅で礼拝をささげることができました。好きだった花を手向け、祈りの時を持ちました。そのあとは、ご近所の福楽さんでお食事をいただきました。祇園ばやしのBGMで、鱧を中心とした会席ランチに、よきくつろぎの時となりました。食事後は、福楽さんのご主人のお話しや、茶道具を見せていただき、短い時間でしたが、ゆっくりできたような気持ちになれたのだ、幸いでしたね。

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2016年8月 7日 (日)

平和を求めて へブル12:14-17 2016.8.7 

暑い8月がやってまいりました。私たちの国にとっては、先週6日は広島に原爆の投下された日、そして今週9日は、長崎に原爆が投下された日として、この出来事を思い起こし平和のために祈る日となっています。
 広島、長崎にはそれぞれの地で被爆され、世界の平和のために生涯をささげたよく知られた二人のキリスト者がいます。「にんげんをかえせ」という序文から始まる原爆詩集で知られた峠三吉は28歳で被害に合いました。洗礼を受けていましたが、戦後は共産党に入り、死と隣り合わせの中で多くの詩を残されました。長崎医科大学の教授であった永井隆は37歳で被爆し、カトリック信者として講演や著作を通して平和を訴えました。「長崎の鐘」は映画にもなった、心を打つ小説として知られています。 
 この二人に共通していたのは、原爆で亡くなった方々は、今日の平和が造られるための犠牲となった人たちではないか、その犠牲はイエスキリストの十字架の死にある、ということであると思います。戦没学徒の慰霊祭で、当時の東大総長であった南原繁も、学徒の死をイエスキリストの贖いの死に重ねるかのようにその死を悼んだのでした。
 考えてみれば、人が一人生きているのは、その人だけの力によるのではありません。長い人生を生きてきたのであれば、実に多くの人たちが犠牲になってその人を生かしてきたと言えるのではないでしょうか。少しオーバーな言い方かもしれませんね。しかしそのことを知れば、私たちは自ずと自分の命も、他の人の人生も大切にしようと思うのです。民族や宗教の違いによらず、すべての人は大切であることがわかるのです。
 イエスキリストの十字架の贖いのわざにこそ、和解の道があるのです。

その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、御子のために和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。コロサイ1:20


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