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2016年10月16日 (日)

栄光ある務め 2コリント3:1-11 2016.10.16

私の父は、中学校の教師として定年まで働きました。過日、再び父の最初の勤務地である上越市柿崎地区を訪れ、あらためてどんな思いでここで子供たちと過ごしていたのかと、思いをはせた次第です。戦後間もないこと、教師が不足している時代にアルバイト(代用教員)で子供たちと接したとき、「これが自分の天職だ!」と確信し、転職してしまったと聞きました。
 パウロは伝道者として、自分の務めがまさに天職であると確信しておりました。モーセが神様から授かった戒めは、石の板に刻まれていました。ユダヤ人に与えられた律法の最も中心的な戒めであり、ここから様々な規定が作られていきました。ダマスコ途上で復活の主イエスと出会ったパウロは、そのころはユダヤ名のサウロと呼ばれていましたが、新しく造り変えられたのです。御霊なる神様の働きでした。2コリント12にある第三の天にまで引き上げられたという表現は、その時のことを表した言葉だと思われます。
 この経験を通して、彼の生涯の務めは、イエスキリストによって示された神の国の福音を宣べ伝えることであると確信したのです。石に刻まれた律法は、人を罪に定め死に至らせるものです。しかし神の国福音は、人の心に書かれ、命を与える栄光ある務めなのです。といっても、律法を全否定しているのではありません。この律法を生かすのが、イエスキリストであり、今日の私たちは、キリストの心で律法に向かい合う時、律法を与えてくださった神様を知ることができるのです(マタイ5:17)
 私たちには、日常においてそれぞれ仕事や学業、家事などなすべき務めがあるでしょう。どのような事柄であったとしても、神の国福音を表す栄光ある務めがそこに含まれていることを意識して、毎日を過ごしたいものです。

出エ34:1 【主】はモーセに仰せられた。「前のと同じような二枚の石の板を、切り取れ。わたしは、あなたが砕いたこの前の石の板にあったあのことばを、その石の板の上に書きしるそう。

2コリント12:2 私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に──肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです、──第三の天にまで引き上げられました。

マタイ5:17  わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。



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