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2016年11月13日 (日)

神の国は誰のもの マルコ10:13-16  2016.11.13

本日は、子供祝福式が行われました。古今東西、幼子や子供たちの成長を願い、祝福を祈願する営みがあると思います。日本では、七五三がそれにあたりますね。旧約の時代から、神様は人を祝福し、人もまた祝福を願ってきました。子供を祝福する日本の行事があるこの時期に、聖書に基づいて教会でも子供たちの祝福を祈る時を持ち、大人も改めて子供のようになることを教えられることは、とても意味のあることだと思います。
 本日の箇所は幼子をイエス様が祝福された物語です。イエス様のもとに連れていこうとした人達、たぶん親や大きなお兄さんやお姉さんたちがいました。ところが、弟子たちは彼らを叱り、子供たちをイエス様から遠ざけたというのです。イエス様は疲れておられ、これ以上負担をかけたくないという善意から出たことだったかもしれません。ところがそんな弟子たちの行動を見て、イエス様はたいそう憤られたのです。かなり強い感情を表す言葉が使われています。イエス様は子供たちを祝福される前に、ひとこと言われました。「神の国はこのような者たちのものです。」と。これはどのような意味があるのでしょうか。
 この出来事と同じようなことが、以前にもあったのです。マルコ933-36に記されています。これは、誰が一番偉いのだろうかと論じ合っていた弟子たちを諭すために、一人の子供を抱いて弟子たちを諭された物語です。子供のような小さい者を受け入れることが大切なんだということが、イエス様の教えようとしておられたことでした。
 ここと同じ物語が、マタイ18:114にも書かれています。マタイの方では、小さい者をつまずかせることは実に災いであり、そのような者は大きな碾き臼を首にくくりつけられて深い海に沈められた方がましであるとも、書かれています。イスラエルツアーの時、ここで語られている石臼を見ましたが、ロバなどの家畜によって引かれる石臼のことで、こんなものでくくられて海に落とされたら、間違いなく死んでしまうだろうなと感じました。大人たちは、まことに真剣にイエス様の言葉を聞き、それを受け止めなければ本当に死んでしまうのです。
 神の国にふさわしいものとは、子供のようになること、そして小さいものを受け入れることです。単に謙遜になるということではなく、何よりも幼な子が理屈抜きに親を信頼して安心感を持つように、どんな状況の何でも私たちの父である神様に信頼し、イエス様により頼むことです。そして自分のことだけでなく、他の人の祝福を祈り、実際にそのように接することです。神様からの祝福は、私たちにも与えられ、他の人にも分かち合うことができるものだからです。

悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。1ペテロ3:9


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