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2016年12月11日 (日)

闇に輝く光  2コリント6:11-18  2016.12.11

「聖菓切る基督のこと何も知らず」 川柳かなと思わせますが、山口波津女の俳句です。12月24日のイブの夜の風景でしょうか、とりあえずクリスマスケーキを切って、きよしこの夜を歌い、クリスマスをお祝いしよう、でもその意味は良く知らないよ~、という多くの日本人が持つ思いを表した一句だと思います。
 日本語には、聖菓だけでなく、聖夜、聖歌隊、そして聖樹などという言葉あり、「聖」という漢字が使われます。クリスマスの祝いは年末ですので、この一年の心の塵を払って新しい年を迎えたい、そんな気持ちも相まって、聖という文字が使われるのかもしれません。クリスマスが過ぎれば、大みそかからお正月三が日にかけては、神社仏閣に出掛け、清々しい思いになって新しい年を送ろうと心に念ずるのです。人は心のどこかで、清い人になりたい、清い生涯を送りたいと願っているのではないでしょうか。
 聖書で使われている「聖、きよさ」には、もともと「分離する」という意味があります。穢れた物や事柄から分けること、関係ないものにすることが、きよさの始まりともいえるでしょう。教会で使う聖日ということばも、キリストがよみがえってくださったことを記念する日で、他の日とは違うことを表す言い方です。
 本日の箇所は、パウロがコリントの人たちに心を広くしなさいと語っていながら、ずいぶん了見の狭いことを言っているではないか、と思わせる文章です。6:13と7:2にあるように心を広くしてくださいという言葉にはさまれている個所なので、これは他の人が書いたのではないか、後に挿入された文章ではないか、という解釈があります。それほど、14-18は読む者に違和感を抱かせる言葉となっています。
 パウロの思いの基本は、人はその行いによって救われたのではなく、神様の恵みよること、そして自分と違う人を受け入れ、たとい未信者であっても共に過ごすことを勧めている、これがパウロの気持ちであることに変わりはありません(1コリント5:10)。しかしこれは、安易な妥協をすることを認めているのではありません。神は、罪に穢れたこの世に、そのひとり子であるイエスキリストを救い主として遣わしてくださいました。人として、マリヤを通して現れてくださったのです。それが、主のご降誕、クリスマスの神秘です。
 人が清い心になりたい、きよい日々を送りたい、けれどそれと真逆なような穢れた自分である。そこで私たちは、闇に輝く光であるお方に心を留め、おさなごイエスを拝した羊飼いや博士たちのように、私たちもイエス様に礼拝をささげるのです。私たちの心にイエス様をお迎えし、きよくしていただき、これまでとは違った生涯が始まるのです。
  「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」ヨハネ1:9


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